<< カムストック第七十談「クママーク取材旅行顛末その一」 | main | カムストック第七十二談「馬の耳に念仏」 >>

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

at , スポンサードリンク, -

-, -, - -

カムストック第七十一談「クママーク取材旅行顛末その二」

前回の続きです。

遭難したところまででした・・・


登山歴三十年近くにして、初めての遭難でした…

そう書いてて、今更とても怖い気持ちにとらわれ、
思わず、全文の構成を二部構成として、
一拍、気を落ち着かせる間を置きました。

一日あけて続きを書き出しています。

そう。
確かに山登りで大変な目に合ったエピソードは山ほどあります。
一つ間違えば遭難だよ、という危ない事態にも何度か陥った。
しかし、本気で遭難したと感じたのは初めてでした。
遭難ということは、死の危険が現実的に迫ったということです。
とにかく圧倒的に一人っきりだという事実が致命的でした。

もう一度状況をおさらいしてみます。

元の登山道からかなり下へ崩落した位置にいる自分。
しっかりとした足場もなく、
掴むものすべてがずるずると崩落していくので全然上へ戻れない。
水分不足と疲労で体力が限界に達しているのに加え、
落ちていきながら無理に踏ん張ったせいか、
体のあちこちが痛くて思うように動かない。
自分の周囲は一緒にずるずる落ちてきた倒木に固められている。
ともすれば上から見れば、倒木に埋もれているように見えたかもしれない。
倒木はずるずる落ちるが、実はとても重い。
その重さもまた上へ戻ろうとする動きを甚だ妨げる。

山域には誰もいないことは朝から痛いほどわかっている。
どんなに声を出したところで誰も助けてはくれない。

時間は午後五時を越えて、
やや薄暗くなってきている。
幸い寒い季節ではないが、
これで真っ暗になった場合、
ライトも持っていない。
そして何度も言うように水がもうほぼない。
非常時の食料もない。
こんな脇道、明日になっても人が通るあてがあるとは言えない。
万が一人が上を通ったとしても、恐らく上からここは見えない。

僕は手のだしようがないまま、そこにしばしじっと佇みました。
佇みましたといっても、
それ以上落ちないように斜面に踏ん張った状態で突っ張りながら…

しかし
とても不思議なことに、
その時、全くパニクったりしなかったんです。
むしろ大したことはないように思う自分がいました。
そしてそんな自分をとても意外な目で見ているもうひとりの自分がいました。

それが冷静だといえるのかともかく、
僕は溜息をついてスマホを操作し始めました。
その溜息は例えば、

「ハア、やれやれ、また山手線止まってるよ」

とか、そういう程度の溜息でした。

僕はスマホで119に生まれて初めて電話かけました。

電話かけながら、
これで救助がいつ来るだろうとか、
かなり謝っても、これどう見ても山なめてた男の典型だなとか、
「岳」の一話みたいになってしまったなとか、
その日泊まる旅館に早く連絡入れないととか、
下手したら助けてもらった後、旅館いけるかなとか、
明後日の歌舞伎見る予定が無理かもとか、
東京帰る夜行バスに間に合うだろうかとか、
家族に怒られると、もう山に行きにくくなるなとか、
そんなこといろいろ考えてました。

でも、繋がりません。

次に110にかけました。

繋がりません。

よく見るとついさっきまで余裕で検索とかできてたスマホの電波が、
全然繋がらない状態になっています。
全く肝心な時にいつも使えないな、アンドロイド!

僕はまた溜息をつきました。
それは例えば、

「ハア、やれやれ、また栄治郎、テンション低いよ」

くらいの溜息でした。

そこから何度も電波の復帰を試み、
再起動なんかもして
何度も電話をかけてみましたが、
全く繋がりませんでした。
そういう地帯に入ってたのでしょう。
やはり山登りには衛星携帯持たないとダメだと痛感しました。

ともかくそこで、
救助を呼ぶということができないことが確定したのです。

その後の自分の感情の流れは、
もう一人の観察者たる自分にとって驚愕のものでした。

何と、僕はその時点で

あきらめたんです。

「もう知らんわ」

まるですねた子の態度のように若干半笑いでもありました。
かといって何に対してすねているのかもわかりませんでした。
とにかくあまりのしんどさと
スマホの使えなさに対してキレて、
もういいよ、って投げやりになってふてくされたのでした。
そして脱出のためのすべての努力をやめ、
ただぼんやりと、
しばしふてくされて動きを止めました。

まるで

はいはい、もう無理ですわ僕

と言ってリタイアボタンを押してゲームを終えるというような
それでゲーム代千円くらいが泡と消えたみたいな
それくらいのあまりに軽い、投げやりでした。

何なんだこの感じは?

そこにはそんな自分の態度に激しく疑問を持つもうひとりの自分がいました。

この事の深刻さの認識のなさは何であろう?
危険のない平和病というのはまさにこういう切羽詰った瀬戸際で
こんな形で致命的に出てしまうものなのか。
そういえば、あの東北の震災の際に、
津波がすぐそこまで迫っているのに、
マジかよとか言って笑っていたり、
ふざけていたりしている人々の映像を見たことがあります。
人間には、余りにリアルな危険事態を受け入れることができなくて、
そんなわけないと無理に思うようになる性質みたいなものがあるそうです。
その逃避楽観本能みたいなものは恐らく
都市の生活で益々強化されているようにも思えます。

この遭難時の僕の状態は、
まさにその性質に支配されていたのだと思います。

事の深刻さを十分に頭で理解していながら、
体が無理に楽観的に反応するので焦らない。
むしろ自分のため「余裕」という名のある種の一人演劇を開始する。
その演劇の中では、この事態も所詮は日常の延長の虚構。
その演劇には先があり、何らかの落としどころに繋がらないはずがない。
そしてそれがいかに悲劇的結末であれ、
演劇、虚構である限り、その夢がさめれば、日常は何食わぬ顔で戻ってくる。

もうひとりの自分はその時、そんな分析を冷静にしていたのです。

ここにおいて、
投げやりになった自分
他人事のように分析をしている自分

この両者とも、全く現実の危機を受け入れてません。

一体これはどういった現象なのでしょうか?
僕の生きる世界が虚構にまみれすぎていて
こうなったのでしょうか?
僕はとにかくひたすらそんな自分が不思議でならなくて、
いつまでもこの異常事態における異常な自分の感情の流れについて考え続け…

いやいやいやいや、
何とかせんと死ぬから!


急に僕はそう自分に言いました。
大きな声に出して言いました。

そして上を見上げました。
生きるためにはこれを登るしかないのです。

しかし今の体力状態とこの斜面の状況だと、
とても元の山道に戻ることは不可…

いやいやいやいや、
登らんと死ぬから!


また声に出して言いました。

ここで無理に登り始めると
余計谷底に落ちてしまう可能性もあるから、
ここは動かない方が…

いやいやいやいや
動かなかったら死ぬから!


声に出して言いました。

声に出して言うことって、
とても力が発生することなんです。

時計を見て、
またさっきと同じいろんな俗事の心配がよぎりましたが、
とにかく

いやいやいやいや
生きてないと!


これも声に出して、そして僕は崩落の斜面を登り始めました。

今度はがむしゃらに急がず、
一歩一歩確実に掴める木と、
崩れない足場と、
そこへ乗せる足の体重配分を考えて。
まるでそれはロッククライミングでした。
やったことありませんが。
もう日暮れとかも考えないでゆっくり登りました。
とにかく慎重に、そして確実に。
少しづつ少しづつ、
何度も押し戻されながらも、
ものすごい集中力で、
本当に少しづつ登りました。

これぞ火事場のクソ力というやつです。
疲れは全然感じませんでした。
それほどに針に糸を通す慎重さと集中で登っていました。
他に何も考えず、
ただ、手を掴む場所と足を置く場所のことだけ考えて。

どれくらい時間がかかったのかわかりません。
とにかく気がつくと僕は
崩落した斜面を登りきり、
元の山道に戻っていました。

よっしゃ!

と大きな声で叫んで
ペットボトルに残された水の最後の一滴をゴクリと飲み込み、
大の字になって十分ほどうたた寝しました。

それから僕は起き上がり、
もはや引きずるしかない重い足を再び奮い立たせ、
下山道を先に進みました。
案の定、斜面の先の登山道は何食わぬ顔で安全に続いています。
なぜこっちを先に確認しなかったのかという後悔も
今となっては無意味。
幸いまだ日は暮れていません。
これで俺は助かったのだ。
もちろん反省、後悔いっぱいあるけど、
これ以上の幸せがあろうか。

自分は死の淵から這い上がった

その高揚だけで疲れは紛れました。

すると進んでいく道の先で何かの規則的な音が聞こえます。
しばらく行くと道の途中にドラム缶があって、
そこからホースが下へ伸びていて、
何とそのドラム缶には水が溜まっている!

これは水場ではないか!

ホースで下の川から水を組み上げているのです。
聞こえた音はポンプのモーター音でした。
そのドラム缶に溜まっていた水はかなり濁っていましたが、
ポンプによって次々と新しい水が送り込まれていました。
そしてそんな水場は地図のどこにものっていませんでした。

僕は感激していました。

これは褒美ではないのか!

ここで僕はあらためて
玉置神社の伝説を思い出します。
呼ばれなければたどり着けない、
一筋縄ではいかない神社。

その神様に呼ばれた自分は試されているのだと本気で思いました。

熊野奥の院の神は、
その森の生死の境の世界の何たるかを今、
迷い込んだ迂闊な人間に味わわせている。
死の淵から帰還した人間へ、
今度は生命の水をお与えになり、
生命の何たるかを教えたまう


僕はその濁った水を空になったペットボトルでくんで、
浴びるように飲みました。
1リットル以上飲みました。
続いて、先程の遭難でドロドロになった全身にその水を文字通り浴びました。

心は歓びに満ち溢れ、
初めて経験する聖なる思いに包まれていました。

すると、
水に夢中で気づかなかったのですが、
そのドラム缶の脇に山上からはるか下界へと伸びる一本の
銀色のレールのようなものがあります。

何か金属的な音が上の方からするなと思ってたら、
なんと、
その銀色のレールを伝って
エレベーターのように昇降する簡易なトロッコと、
それに乗った見知らぬおじいさんが
ゆっくりと、ゆっくりと僕のいるところへ降りてきました。

まさにそれは天界よりの神の降臨とも見紛うタイミングと光景でした。

「その水、きれいやないで」

トロッコおじいさんは言いました。
そのおじいさんは林業で働くおじいさんでした。
そのトロッコは木材切り出し作業の移動用機械。
そしてその水はおじいさん達が作業で水が必要な時に使う水で、
手を洗ったりする水。
それで濁っていたのか…

でも全然そんなことは構いませんでした。

全然そんなこと構わないんですとおじいさんに言いました。

「登山か?」

トロッコおじいさんは怪訝そうに僕に尋ねました。
もちろんこんな日暮れ時です。
怪訝な表情になるのも無理はない。
僕は手短に、道間違えたり、落ちたりして、
こんな時間になってしまったとおじいさんに説明しました。

トロッコおじいさんは

「へえ…」

と言ってしばらく僕を見つめ、
ドラム缶でタオルを絞ったりしていました。
僕はその傍らで座って満足気になおも立ち去り難く水を飲んでいました。
するとトロッコおじいさんは僕にこう言いました。

「でも、この道、この先で崩れてるで」

僕は一瞬意味がわかりませんでした。

え?

「二年前の台風で崩れたんや。通られへんで」

え??

僕は頭が混乱し、どう言っていいものかわからなくなりました。

え????

そんなことどこにも書いてなかったよ。
最新のはずの地図にも載ってない事実だよ。

ってことは、
もはや引き返さなくては助からないのか!

ひ、引き返す?

ここまで7時間かかった道を?

引き返す?

無理だ!
今度こそ八方塞がりの遭難だ!

うわぁぁぁぁぁ…どうしよぅ…

思わず最後の叫びは音声化してしまいました。

その言葉を聞いたトロッコおじいさんはこう言いました。

「せやからまあ…これに乗せてやれることはできるけどなぁ」

え?

「せやからまあ…これに乗せて君を上まで運んでいくことはできるけどな。危ないけど」

う、上まではこんでいく?
俺を?

「わしは登山の道のことはようわからんけどな、上に標識があるわ。
あんた、上切原に降りていく予定やったんやろ?
わしは道のことはようわからんけど、
尾根伝いに道があって、


→上切原

って書いてるとこがあるわ。
そこまでこれに乗せて、運んでいったることはできるわ」


…あわあわ…あわあわ…

「でもそうするしかないやろ」

はい!

ああ…

何とご親切な!

「乗り!」

ここで僕はまたしても親切な十津川のおじいちゃんに出会ったわけです。
しかし僕は事態の推移に若干ついていけず、
トロッコに乗るように促されて、
何か今から思えば当たり前のことのように、
はい、すいませんね
なんて軽く頭を下げながら乗りこもうとしてたのですが、
ふと、我に返り、大きな声で

ありがとうございます!
助かりました!


と叫びました。

トロッコおじいちゃんは、
そんな時ですら、

「ごめんな、乗りにくくて」

などと言ってくれてました。
トロッコは木材を運ぶこともできるようになっているので縦に長く、
僕はその一番下の底部に足をつき、
なるべく細く直立の姿勢になって
(トロッコの幅から腕や足がはみ出ると周囲の木にぶつかるのです)
ほぼ、仰向けに寝ていました。
その形状が文章で伝わるかどうかわかりませんが、
僕の態勢は外から見ると、
コスモカプセルみたいなものに直立しているような雰囲気だったでしょう。
エヴァのエントリープラグが後ろ斜めに進んでいくようなイメージです。

トロッコは動き出し、後頭部斜め上に向かってゆっくりと登っていきます。
初めての乗り物でした。
そして死ぬまでに二度と乗らない可能性が高いです。
たまに油断して腕がはみ出ると周囲の木にひっかかりそうになってヒヤリとしました。
でもとてもゆっくり進んでいくので、
それほど危険ではありません。

僕はゆっくりと上昇しながら、
いろんなことを考えていました。

中でもこの、

上昇している…

という状態をことさら神話的に解釈していました。

崩落斜面への落下から死の淵を覗き見、
生への当然の執着による力で、
自力で上昇、
そして今さらに、
その体験を経た上で、
僕はさらなる上昇を味わわせられている。
しかもそれは


他力の上昇。

本当にここへ来て、
さっきよりもなお一層、
玉置神社の霊力というものを、
そして熊野の森の生死往還の因果の世界に、
今自分はもろに直面しているのだという
そんな確信にとらわれていました。

そしてここは紛れもなくおいそれと踏み込んではいけない

魔界

であって、

そこへ一度踏み込んだからには、
自分一個の生命が、

いかなる意味を持ち、いかに意味をもたないか。

というようなこと、あるいは、

生死をめぐる世界において、
どのように人間が存在するのかを、

否応なく知らされるゾーン

であるということ。

神話的世界というのが、
このように熊野レベルまで土地と一体化すると、
今起こっているような、
物理科学的な現象と神話的解釈の物語世界が
信じられないくらいにシンクロした現実が存在し、
それこそまさに


奇蹟

であるという風に思いました。
気が触れたわけではありませんよ。
そんな風に思わざるを得ない
出来事や風景の連鎖が現にあったのです。

さて、トロッコエレベーターは停車しました。
そこにはトロッコおじいさんの作業ゾーンみたいな一角があって、
切断した木材がいくつか並んでいます。
おじいさんの弟子みたいな若い人が一人そこで作業していました。
おじいさんが僕を乗せてきたので、
その人は少しびっくりしていました。

「ほらこれこれ、これ道やと思うねん」

おじいさんはある木の幹をさしました。
そこには小さな板がはりつけてあって、
おざなりな字ではあるが、確かに

→上切原

と書いてます。
地図を確認しましたが、
これがどこの道であるか全くわかりません。
恐らく地図にはない臨時の道なのでしょう。
ひょっとすると、
崩落したという僕が歩いていた下山道に変わって
急にしつらえた迂回道なのかもしれません。

しかし、僕はそのトロッコおじいさんを当然全面的に信頼し、
その道をゆくことにしました。

ありがとうございます。

と丹念にお礼を言って、
一人森の奥へと分け入りました。
分け行ってから思ったんですが、
ではあのおじいさんと弟子はどこから来て、どう帰るのでしょうか?

謎です。

しかし時間的にはこの辺りで六時前。
辺りは薄暗くなってきています。
迷ってる暇はないし、
もう二度と迷うことはできない。
強い意志と集中で下り進みました。

ここでも道しるべが問題になりました。
やはり急造の臨時登山道らしく、
道しるべが本当に心もとないのです。
白いスズランテープを裂いた細いひもが
心もとなくたまに木と木の間に渡されているだけで、
その紐のわたされてる方向に進むわけです。
が、時には切れてひらひら舞っています。
しかも何度もそれを見失う。
さらに暗くなってきてよく見えなくなってくる。

足下を見ても道はもはや道とは全然わかりません。
全く踏み跡もなければ、
道とわかるように、
周囲の木や草を抜いてないので、
本当に頼りはスズランテープだけ。
それでも行くしかないし、
絶対にたどり着くという確信をもって
僕は進み続けました。

何というか、
その時点で何も怖くなくなっていました。

ここまで奇跡的に助かって生きてきたじゃないか。
ここからたとえ日が暮れようが、
死ぬことはない。

絶対なんとかなる。

そう信じていました。

すると
カラスの大群がものすごく恐ろしい鳴き声を一斉にたてました。
ほぼ時を同じくして、
何らかの獣の咆哮が聞こえてきました。

森が獣達の時間帯に入ろうとしていました。

僕は普通の恐怖をそこでまた取り戻しました。
すると疲労もまた一気に戻り、歩みが遅くなりました。

しばらくして
そのスズランテープのはっきりしない山道が、
明らかな登山道に合流しました。
これはきっと、先程の途中で崩れてると言われた道の崩壊部を越えた続きに違いない。

よし、先が見えた!

そう思って、下っていくと、
森の木立の隙間から、
徐々に町らしき光が見えてきました。
森の木々に覆われてて山道はすっかり日が暮れたと思っていたのが、
下界はまだ夕焼けの時間帯でその明るさが隙間から見えるのです。
時刻は六時過ぎ。

しかしもはや地図上でどこにいるのかがわからないので、
どのくらい歩いて下れば町に着くのかは目分量です。
徐々に下りてきてるのは実感できるのですが、
あとちょっとだと感じてからがなかなかたどり着かない。
そしてそのあとちょっとと勘違いしてしまった体が
無理をして、余計に潰れていく。

そうこの時点でもう下半身は腿から爪先に至るまで、
あらゆる意味で潰れてました。
それでも歩くしかない。
つらい。
でも幸せな気分も伴っていました。
もうここまで来たら、確実に遭難するようなことはないと思ったからです。

そしてついに、六時半。
夏の長い太陽がまだ沈まぬうちに、
僕はとうとう上切原という、
夕日を浴びて本当に美しく、
本当に静かな、
大きな十津川沿いの小さな農村に下山しました


登山道が唐突に終わると、
その続きは、民家と民家の間の路地です。
それがまた風情がある家々が並んで、
何か本当に天国に出たような気分になりました。

どこかで座り込みたかったのですが、
民家の私有地ばかりで、
どうも場所がなく、しばしきつい西陽の中を彷徨い、
公園みたいなところに一本の木が木陰を作っていて、
その下に荷を下ろし、座り込みました。

塾か何かに行くんでしょうか。
公園正面の家からおばあちゃんと女子中学生が出て来て、
女の子は自転車に乗ってどこかへ走り去りました。
よく見るとその家は酒屋でした。
そして何とその家の前には自動販売機があるじゃないですか!

僕はすぐさま財布を取り出し、
ジュースを買いました。

まずネクター一気。
次にキリンレモン一気。


ビタミンと糖分と水分を体が異常に欲しているのです。

そしてひと呼吸落ち着いて、
今日泊まるはずの湯の峰の宿へ連絡します。
六時に着く予定でしたから、
何本か着信が入っていました。
もう7時に近い。

電話して事情を説明し、
今からだと道の駅まで出ても、
最終バスに間に合わないことを説明しました。
どうしましょう?と相談すると

ここでもまた、親切なことに

道の駅までなら迎えに来てくれるというのです。
湯の峰から道の駅本宮まではかなりの距離があります。
当初はバスで移動する予定でした。
そこをわざわざ迎えに来てくれる。

ありがとうございます。

しかし道の駅本宮というところに行くためには、
大きな大きな十津川を渡らなばなりません。
地図で見ると下山道から続きで橋から対岸につながっていたんですが、
どうやらその道ではないところに降りてきたようなのです。
遥か遠くに巨大な橋が見えます。
しかしその橋まで行かないと宿の人に会えない。
僕はまた最後の力を振り絞り、
リュックを背負い、
村の中を遥か向こうの橋に向かってトボトボと歩き始めました。
きつかった。
しかし何度も言いますが、
そこは本当に風景の美しい村でした。
それが安らぎでした。

三十分くらい歩き、
とうとう橋の下に着いて愕然とします。
何と下から橋に上がれないのです。
その橋はどうやら高速道か何かみたいで、
下から上がっていく手段がない。
下手したら歩行者も通れない。
僕は橋を真下から見上げながら、
またもやへたりこんでしまいました。

またもや上、下の神話的構造が現れたのです。

このままだと宿の人と落ち合えません。
宿の人にお願いしてここまで迎えに来てもらうか。
でも橋の下までうまく来れるのだろうか?
電話の感じでは湯の峰の宿の人は、
十津川の対岸の地理は全然わからないみたいでした。
それだけ離れているのです。
湯の峰温泉は熊野本宮からさらに歩いて一時間くらい奥地にあるのです。

どうしようか…と思ってももう頭が働かない。

そんな時、車通りの全然ないその道に、なんと一台の軽トラが走ってきました。
僕は思わず手を上げていました。

生まれて初めてのヒッチハイクでした。

運転してたのは若い活きのいいお兄ちゃんでした。

僕は事情を簡単に説明し、
道の駅本宮まで乗せて行ってもらえないかと頼みました。

するとお兄さんは二つ返事で、いやむしろ食い気味で、

いいですよ

と言って僕を乗せてくれました。

またもや何と親切なことだ!

しかも汚いですからといって、
僕の乗りこむ助手席のシートに、
たまたまあったスーパーの袋をしいてくれます。
汚いのはむしろこっちなんです。
何せ遭難しかけてドロドロでしたから。

そのお兄ちゃんは、トロッコおじいさんと同じく、林業の方で、
山に詳しい人でした。
短い時間でしたが、車内で僕は、
今日いかに親切な人に大勢出会ったかということをまくし立てていました。
彼は、さらに一つ向こうの橋まで迂回して対岸に渡り、
僕を道の駅まで送ってくれました。

ありがとうございます!
ありがとうございます!
十津川万歳!


道の駅にはまだ宿の迎えは来ていませんでした。
僕はそこにあった自動販売機で再び、

ネクター一気。

続いて

キリンレモン一気。

をしました。
キリンレモンを飲み干した頃、
宿の人が迎えに来てくれました。

運転はおじいさんでした。

その湯の峰のおじいさんも親切ないい人でした

そしてまたもや東京にいたことのある人でした。

何かこの辺りには東京にいたけれども、
今じゃひっそりこの熊野の森に生きてるおじいさん
っていうのがいっぱいいるんだなと思いました。

そしてみんな親切だなと。

そして湯の峰温泉の宿に到着したのが八時。

ドロドロの姿と、
遅くなってしまった夕食準備で
宿のおかみさんはちょっと不機嫌でしたが、

ともあれ、
こうして取材旅行熊野激動の第二日は終わりました。

寝る前の時点で、僕はもうまともに歩けないような状態で、
宿の階段のアップダウンが大ゴトでしたが。

当然あちこち痛くて、腫れて、熱っぽくて、
全然眠れませんでしたが、
翌早朝、気持ちよく起床。
何せ、寝て起きれることすら幸福感を感じます。

昨夜に続き宿の温泉へ。
しかし湯の峰温泉は、
何といっても湯がべらぼうに熱い!

ゆっくり使って傷を癒したかったのですが、
日焼けや傷にしみてとても我慢できない。
昨夜に引き続き、カラスの行水で出てしまいました。

朝食をいただいて、
本当は昨日行くはずだった

つぼ湯へ

そうです。
小栗判官復活の湯。
「熊の親切」で舞台にした、
あの伝説の泉に行きました。
宿からすぐ。
ひと組づつ三十分なんで混んでると結構並ぶと聞いてましたが、
平日なのか人影一つありません。
悠々と、つぼ湯を独り占め。
こちらも同じ源泉なので、
べらぼうに熱い湯でしたが、
思いっきり差し水して、
こちらにはゆっくり入りました。
そしてついに

復活!

実に清々しい気分で、
最終日三日目は、
観光バスに乗って
熊野三山めぐり

熊野本宮大社
速玉大社
那智大社(もちろん那智の大滝)


を一日かけて一通りめぐり、
まあ正直なところ、
バスの乗り降りの時点から
かなり尋常でなくキツイという足の状態でしたが、
どこもかしこも階段階段の
神社巡りも何とか
汗だくになりながらこなし、

熊野めぐりクリア。

最後は紀伊勝浦駅から紀勢線に乗って大阪、
そして夜行バスの予定を、
余りに体きつくてキャンセルし、
新幹線最終でその日のうちに帰京しました。

画して、

「クママーク取材熊野旅行」無事?終了

この熊野三社めぐりも本当にいろいろと感慨深いものでしたが、
やはり二日目の玉置神社顛末ほどのパワーを持つエピソードはないので、
ここに至ってはもはや書くこともありません

さて、
一体何を取材しに行ったのかと言われると答えに窮するのですが、
何を見たとかどこへ行ったとかいうより、
十津川、熊野を体感したいというのが一番の目的だったので、
それは十二分に達成されました。
ともすれば必要以上な程に。

その土地に実際に立つことで、
生死往還、復活再生の森と言われる熊野が、
なぜそういうふうに歴史的に思われてきたかを感じたかったのです。

しかし、
そういうことを感じることができましたというよりは、
今回僕はもろにその森の霊力に直面しました。

本当にいろんなことを学びました。

もちろんそこには、山をなめてはいけないという教訓、反省もあります。
愚かな自分に直面した。
個人的科学的観点だけで考えるとそれに尽きるとも言えます。

しかしそれ以上に、
生きるということ、存在するということのエッジに直面し、
生きるということのゆらぎみたいなものも体験しました。
生きるということが揺らぐとそこには死というものが現れます。
そして生きるということは、対極にある死というものとの対で捉えるもの。

さらに生きるということは、自分以外の生との争いばかりではない。
むしろリカバーし合う関係性に潜む必然。
親切という行為、現象の重要な存在感。

もしかしたら生死往還の縦軸、親切不親切の横軸、
その二つの軸線が交わる世界の中にしか、
生きていくということの実感はとらえられないのかもしれません。
そして世の中は基本的にそれらの因果がめぐる世界なのに、
もしかしたら今の人間社会はそれらをかなり隠蔽しているのかもしれません。
それらが隠蔽されている世界において、
神というものの持つ意味合いは全然違うことになるのかもしれません。
そういうことで魔界は縮小しているのかもしれない。
それは生命の上下運動を失念した、
自他の距離感の消失した、
非常に無意味でシュールな世界なのかもしれない。
そんな世界では神様も迷妄でしかない。
玉置神社はそういう世界と最も遠いところにある神社でした。


今回、思ったことは、

偶然などないということです。

あの玉置神社で参拝道で出会った二人のおじいさんがいなければ、
僕はこんな文を書くほどの体験はしてなかったでしょう。
あの二人とあのタイミングで出会ったから、後のことがある。

もっと不思議なのはトロッコおじいさんの登場です。
もし僕が六道ノ辻を最初から見つけて曲がった場合、
まだ疲れてない状態で落下もしなかったとします。
すると先が崩れている登山道へまっすぐ行ったということです。
六道で迷ったことは同じくでも、谷下への崩落を回避してたとします。
それでもおじいさんと出会わずに、先の崩れた登山道を進むことになったでしょう。
先の崩れた登山道には実際に行ってないので、
そこでどういう展開になったかはわかりませんが、
最もありそうな可能性は、
玉置山まで戻る。
あるいは、
崩壊してると気づかずに強引に進もうとして大変なことになる。

六道で迷い、谷底に落ちた時間があったからこそ、
あのトロッコおじいさんに出会うのです。
少しでもタイミングがずれていればあの人には出会ってない。
つまり下山できていないわけです。

最後に乗せてくれたお兄ちゃんだってそう。

ひとつでもピースがわずかにずれれば、
何もかもが違うことになっている。
全く違う結末がありえた。


この旅の顛末の特徴はこれにつきます。

すべての因果が最初から連動している。
そしてその終点で、僕という個人が神への畏怖を感じるという場所に到着している。
これこそが日本の神というもののの実在に他ならないのだと僕は思います。


ともすれば僕が会った人は
全員神様だと考えてもおかしくありません。
そしてやはり僕は、
そもそも玉置神社に呼ばれたと傲慢にも思ってしまうのです。

そこには必然しかない。

古来自然と一体化する八百万の神々への信仰。
命の流転を説く仏教。
そして山岳と森を信奉し大峰奥駈道を駆け抜ける修験道。

これらが渾然一体となって、
玉置神社の結界は構成されています。

そこにある問は一つだけです。

必然の生とは何ぞや

さあ、この旅の手応えを三ヶ月かけて、

「クママーク」

という作品に落とし込みたいと思います。

非常識な長文、ここまで読み終えていただいてまことに、

ありがとうございました。

ここまで読んだからには、
秋のカムカムミニキーナ公演「クママーク」

絶対見に来てくださいね。



at 22:40, 松村武, -

-, -, - -

スポンサーサイト

at 22:40, スポンサードリンク, -

-, -, - -