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カムストック第六十九談 「脱皮」

あけましておめでとうございます。


うっかりというか、何といいますか、
このブログの更新は昨年の元旦以来のこととなりました。
多忙と、あとツイッターのせいでしょうか。
ツイッターにいろいろ日々の徒然を呟くことで
長文コラムを書く意欲が俄然失われていました。

実は奈良ではご存知の方もおられると思いますが、
奈良新聞にて

「赤い扉の向こう側」

というコラムを隔週で連載させていただいてます。
もう二年になります。
これまた以前だったら、
このブログで書くような内容を書いておりまして、
それもまたこちらのブログが滞りがちな一因かもしれません。

今年はもう少しブログも書いていこうとは思っています。
今の時点では。

しかし一年というものは本当に長いもので
昨年の元旦のことなんて遥か大昔。
昨年一年間に自分に起こったことを
元旦の自分は全く見通していません。
一年の計は元旦にあり、と言いますが、
僕の場合
もう少し短いスパンで計をたてていくことがまだ必要なようです。
まだまだ青いということの証です。

さて昨年もいろいろと
まさに極彩の一年とも言えるほどに
様々な色合いの舞台に数多く関わることができました。

せっかくなのでここで振り返って行きたいと思います。

まず新年は

「URASUJI 仇花」

あれ、去年か!と驚いてしまうほど、
かなり前のように思えます。
リビングレジェンドと言っていい
木の実ナナさんとご一緒できたのが
最大の思い出です。

ナナさん演じるお菊は、
高杉晋作率いる奇兵隊の唯一の実在の女隊士です。
劇中、明治新政府の銃砲を浴びて壮絶な最期を遂げますが
実はこれは、ナナさんが
舞台人生で初めて演じる死ぬシーンだったのです。

なのでそのシーンについては台本段階から
いろいろと試行錯誤がありました。
死なないという選択肢をとるバージョンも考えました。
しかし稽古の中で
ナナさん本人がそのシーンを演じることを決めてくださいました。
そしてまさに死ぬ気で演じてくれました。

すべてのことを全身全霊で取り組むがゆえに
稽古場のナナさんは、いつも一人で歩けぬ程にフラフラです。
そこまでやるのかという、
そこまでやらなければいけないのかという、
その姿にスターの本質を垣間見て、
そして当然スターならざる己の怠惰を恥じました。

一緒に舞台を作れて光栄でした。

URASUJIは四作目で初の本多劇場でしたが、
ナナさんのおかげで
本多が逆に小さく思えました。

他にも中山っちが出てくれました。
打ち上げでURASUJIファミリー(劇団っていうよりファミリーって感じなのです)
の一員に混じれて、本当に嬉しいと言ってくれて
深沢プロデューサーは泣きそうになったそうですが
僕も同じ想いでした。

中山っちの役は最終的に裏筋の仕事人ですし、
物語上、死んでません。
いずれどこかで
また助っ人として登場するかもしれません。
させたいですね。必ずいつか。

URASUJIが終わった二月からは
毎週末のように、出雲に飛行機で通いました。
そうです。

「雲南市民劇・異伝ヤマタノオロチ」

本番は三月のたった一日だけでした。
やはりこれは
出雲の雲南市という、
個人的には縁もゆかりもなかった土地に
多くの仲間ができたということの感動に尽きます。
恐らくこんな体験は求めてもなかなかできるものではないでしょう。
非常に幸運だったと思います。

山陰各地から集った熱い演劇青年達、
パワフルな生活力に溢れたオジサン、オバサン達。
そしてそれを束ねる高校演劇界の寵児、亀尾先生。
それを無私に支えるチェリヴァホールの皆さん、
町の美しさに誇りを持つ木次町の皆さん。

ここで暮らしたいとさえ思いました。

それほどに楽しい日々でした。
木次のおくい食堂でしか飲めない酒
「おろちごぼぢ」(やまたのおろちのよだれ)
を何杯飲んだことか。

ヤマタノオロチ伝説の郷を歩き回り、
古事記出雲神話を生々しく体感しました。

「砂の器」ゆかりの
老舗旅館にずっと泊まり。
障子越しに見える雪景色をぼんやりと眺めながら
セリフを覚えました。

本番はあっと言う間でしたが
おもしろくてしかたない時間でした。
とにかくいい思い出しかない。
市民劇というものに関しての考え方も変わったし
演劇そのものに対する見方も少し変わった気がします。

あれ以来、出雲には行けてません。
今年は絶対行こうと思ってます。

さてこの出雲通いのあたりの時期に
故郷の映画

「茜色の約束」

がついに郡山で公開されました。
金魚養殖業のオヤジを演じさせてもらったこの映画。
撮影もほぼすべて地元大和郡山で行われ、
出てくるシーンがすべて故郷の光景です。
試写は東京で見たんですが、
あらためて地元の映画館で
公開初日のこの映画を見て
本当に綺麗な土地だなあと思いました。

特に冒頭、茜色の夕空から始まり、
その色が泳ぐ金魚の色に重ね合わされていくのですが
金魚池のバックに広がるその夕焼けを見たとたん
説明不能な涙が出ました。
幼い日にしみついた景色とは、
かくも人の精神の核心に潜み続けるものなのだと
あらためて思いました。
そのあと、自分が出てきてギョッとしましたが。
あれは台本上冒頭のシーンではなかったので不意をつかれました。

残念ながら全国公開はならなかったのですが
地元の宝のような映像ですので
郡山でいつまででも見続けてもらえるようになればいいなと思います。

出雲、奈良往還の日々を経てやがて春。
ようやく東京に腰を据えて
次に取り組んだのが

「えびすしげなり」

カムカムが本公演とは別にやるシリーズ、
サラウンドミニキーナの一作です。
サラウンドというからにはこの舞台は変則の囲み。
囲みの舞台は稽古場での稽古が大変です。
そのほかの点でも、
このシリーズは実験していくことに主眼を置きます。
あらゆる点で雲を掴むような稽古場でしたが
創造の気で満ち溢れていました。

今年のテーマは「ひるこ」とさだめて
まずはその「ひるこ」が海から帰ってきて
「えびす様」の起源になったという部分から着想した奇譚。

何に向かって芝居をするのか
というところから、考えを固定化させないようにしようということで、
普通は客に向かって芝居はするものですが、
例えば神社の神楽のようなものは
演劇ではあるだろうが、
客に向かって芝居してるわけではない。
神に向かって芝居をしている。

そういう風に考えたものが
見世物になるだろうか。
でも神楽は十分見世物になる。
じゃあそんな感じで我々が取り組んだ場合、
どのような表現的な可能性がでてくるか。

てなわけで「えびすしげなり」は
「奉納」というキーワードで作った極めて珍しい作品です。

例えば作品中に祭りのような動きが多く出てきますが
ああいう際に
絶対カウントをとらない。
音楽に合わせない。
きっかけを作らない。
とにかく
気をひとつにする。
ということで動きを一致させる。
目的はその気の合わせの実現なのである。
というようなことをやっていました。

ある種、高度なことに挑戦したわけですが、
ある程度の成果はあった気がします。

お客様に料金をいただいてるのだから
そのお金のぶんだけ、お客様に対して
よいパフォーマンスをするという
当世、当たり前の考え方。

僕はそれは正しいと思います。
ただ正しいと僕が思うだけであって
それは定義として“正しい。”わけではない。

そして大事なことは
たとえ正しかろうが、
絶対にそれだけではないってこと。
それはいっぱいあるうちのごく一部です。
表現はそれだけのものにとどまる微小な現象ではないと思います。
人は何故、表現するのか。
軽々には答えられぬ永遠の課題です。

「えびすしげなり」を終えて
六月は

「LITTLE SHOP OF HORRORS」

二年ぶりの再演です。
シーモアとオードリー以外は前回の素晴らしきメンツが集いました。
ここでもリビングレジェンド、尾藤イサオさんと再び!
新しい二人も素敵でした。

あらためて
僕はこの作品が大好きだと思いました。
こういう作品が古典として受け継がれているところに
アメリカの底力みたいなものを感じます。

そう、これもう結構な古典ミュージカルなんですよ。
信じられない。
全く色あせない。

今回はばっちり世相にリンクした内容に思えました。
狙ったかのように。

突き詰めれば突き詰めるほど
底知れぬほど深いんですね。この作品は。
マイノリティの絶望と怨念が不穏に塗りこめられている。
一周回って今の日本の田舎町でものすごく受け入れられそうな気がします。
でもこの作品の登場人物たちにリンクしやすい人たちは
たぶん都市の劇場で高額のミュージカルなんてほとんど見ない。

だからこの作品を本多の規模でお手軽な値段でやる意味は大きい。
そのままのお手軽さと猥雑さで地方回りをもっとしたかった。

今度やるときは是非。
と、まだまだ僕はやる気満々です。これに関しては。
この作品の舞台スキッドロウを現代日本の町に置き換えたバージョンもやってみたいな。
権利関係許されるなら。
福島県の街とかにして。

七月
中日劇場で初めての演出です。

「コロッケ特別公演 殿様地獄泥棒パラダイス」

商業演劇は本当に久しぶりでした。
いろいろと勝手が違いますから、昔やった時は相当苦労しました。

まず稽古期間が短い。
出てる人が大物実力者ばかりだから、
稽古なんて最低限でいいという考え方が基本です。

でもこれは実際そうなので
文句もありません。
稽古しないでも大概のことはできるんです。皆さん。

今回はそれはそれはもう
まるで魑魅魍魎(最大の賛辞です)のごとく
リビングレジェンドの湧き出ずる群舞でした。

コロッケさんは言うに及ばす、
左とん平師匠、佐藤B作さん、曽我廼家文童さん…

何か、トランプの手札が絵札ばっかりな感じでした。
圧倒され、緊張しっぱなしでしたが、
これほどに貴重な経験はありませんでした。
商業演劇は、
ある種独特な価値観を持った独立国家みたいな感じです。
若い頃は反感というか別世界感がありましたが、
今ではそこに長い年月をかけて息づく演劇観の伝統みたいなものを
しっかりと学んでいかなければいけないと思っています。
特に、人から人で受け継がれる喜劇の歴史の厚み。
浅草喜劇や松竹新喜劇。
ここにしかない演劇の極意もまた多く存在するのです。

これからも機会あれば
この世界に果敢にチャレンジしていきたいと思っています。

八月は

「叔母との旅」

再演でした。
シスカンパニーの社長が生涯最初で最後の再演として上演を決意した作品です。
二年前と全く同じメンツで、全く同じ演出だというのにいつも満員御礼でした。
ありがたいことです。

初演時、地図のない荒野をゆくような状態だったので、
稽古場は喧々諤々。
議論百出の中、一日に一ページしか進まないといったような稽古の日々でした。
なので毎日がシビア極まりない戦いであり、
楽しさや充実感を味わう余裕も全くなかったのですが、
今回はあらためて、
当代トップレベルの俳優陣を演出できるという幸せを噛み締めました。
そして何より初演は、
こんなやり方でお客さんに受け入れられるだろうかという不安を
誰もがどこかで持ちながらの稽古だったのですが、
一度賞までいただくほどに受け入れられたという事実があって、
始めから、深い信頼感の中で淡々と稽古は進み、
無駄なく、
穏やかに、
そのまま本番は、
初演より一層、確実で、揺るぎないステージだったと思ってます。

この「叔母との旅」で試行錯誤した様々な演劇的方法は、
これからの僕の演出における様々な局面で役に立っていくことでしょう。
プロデューサーが頑なにこれ以上の叔母の再演は絶対ないというので、
こういう手法というか、雰囲気は
僕が他の作品でどんどん使っていこうと決めました。
現にこのあと、
「ひーるべる」「詭弁・走れメロス」
において、
この「叔母との旅」で発見した様々な手法を応用しています。

それにしても
もう一回、
いや、もはや毎年やっていきたい作品なんですがね。
青山円形劇場のレギュラーメニューなんかにして。
円形劇場の無形文化遺産として。
ちょっと大げさですが、
そんな話で円形なくなる話を吹き飛ばしたいだけです。

書き疲れてきました。
しかしこの一年はまだまだいろいろとあるのです。

「叔母との旅」を終えて八月下旬より
長期奈良入りが始まります。
九月九日の

「大和郡山市民劇・歌劇ふることぶみ」

の最終仕上げに向けてです。
奈良県大和郡山市は我が故郷。
その稗田村にある賈太神社は
古事記暗誦の人、稗田阿礼を祀る神社です。
2012年は古事記が編纂されて1300年の節目。
それを記念して郡山ではいくつもの行事が組まれました。
この節目の年に向けて
市では市民劇団結成による古事記上演を企画し、
3年前から劇団「古事語り部座」を立ち上げました。

カムカムは十年、やまと郡山城ホールで上演を続け、
そして僕は地元出身な上に
父方の松村家がその稗田町、
賈太神社のとなりといっていいような位置にあります。
昔から賈太神社は通学路の途中の遊び場で、
受験祈願にも通ったし、
何かと大人になるまで神社といえば
賈太神社でした。

そんな縁もあって
三年前に「古事語り部座」の指導と
その集大成として2012年に上演される
「歌劇ふることぶみ」(古事記を音読みしないと“ふることぶみ”と読む)
の作演出を任されました。

その三年越しの本番が九月にあったのです。

それはそれは
ポジティブなエネルギーに満ちあふれた、
大変素晴らしい1ステージとなりました。
そして大変面白い古事記の物語を郡山の皆さんに知らしめることができました。

一人もプロはおりません。
ほとんどが演劇初体験のおばちゃん達、そしておばあちゃん達。
そして子供達。男少々。

3年という月日は気の長い奈良の人にとっても
こうして一日に凝縮してしまうにはあまりに長い日々でした。

途中いろんなことがありました。

しかしこの一瞬のために彼らは日々を生きた。
そして見たこともないほどに舞台の上で光った。

何とまぶしかったことか。
それは演劇に携わる者の見本だった。

頭が下がりました。
神様を演じるみんなが、本当に神様に見えた瞬間がありました。

この3年で一番学んだ人は明らかに僕です。

自分が演劇をやる意味、
演劇の持つ力。
演劇の持つ意味。
すべてについて自分の凝り固まった精神を粉砕し、
自由をくれた。

当日見に来た劇団員たちは大きくショックを受けていました。
それくらいに貴重な、演劇の原石のような舞台でした。

なかなか越えられぬ輝きを持った、たった1ステージでした。

音楽のハジメニキヨシさんも素晴らしかった。
僕は語り部として出演していましたが、
サキタさんらとまがりなりにもセッションできたことは
非常に光栄なことでした。

しかし
あの静かに響き入る、のこぎりの音色の何と清々しく、神々しかったことか。

そして
その日は
「歌劇ふることぶみ」を軸にした
「古事記ざんまい」というフェスティバルの一日でした。

そこに亀尾先生率いる、あの雲南のみんなが来てくれたんです。
「異伝ヤマタノオロチ」を引っさげて。
僕は自分の出てない「異伝ヤマタノオロチ」を
自分の故郷の街のホールで客として見ました。
舞台上で皆に再会しました。
芝居はすごく進化していました。
特にコロス的役割を担う、一番経験のない人達の
役者としてのオーラの上がりっぷりに感動しました。

夜は雲南、語り部座合同で打ち上げ。
何度も秘かに声を詰まらせながら
みんなといつまでも酒を飲みました。

何かあの日のことは
遺伝子に直に刻まれたような、
そんな気がします。


それを終えて二週間後には毎年恒例のナライブです。
奈良が続きます。
ナライブも去年で三年目。
草芝居も徐々に根付き、
草芝居リーグ自体は、
ほとんど僕が関与しなくても進行していきました。
各作品も語り部座があったせいで
以前ほどには稽古段階で見れなかったけど
なかなかにいいレベル。
何より全く演劇について何にも知らない人がやってるにしては
ほっといてもある程度の作品ができてくるということがすごいことです。
作品へのこだわりや意地も生まれ、
チャンピオンベルトを取るということに関しての葛藤は
よりドラマチックになってきました。
みんな優勝したいんです。
そう思ってくれるようになったことがうれしいです。
作品作りも、以前よりもめるけど、
それだけ人任せにならない証です。
だからこそ本番が愛おしい。
草芝居は、胸を張って第二段階へ来たと言えます。

そのナライブ招待作品として
その拠点、もいち堂にて

「えびすしげなり・奈良版」

を上演しました。
春にやったのとは空間が全然違います。
そして主演が中村哲人君から吉田晋一に変わってそこでも雰囲気が変わりました。
もいち堂は天井にバトンがないので
照明はすべてサイドスポット。
舞台に高みはなく、客席は周りに置いたパイプ椅子のみです。
この状態でお送りした「えびす」
特に関西人にとっては「えびす様」はおなじみの「えべっさん」です。
奈良はもちろん神仏の郷。

結果、お客さんの雰囲気も含めて、
荘厳で幻想的な、まるで薪能みたいな「えびすしげなり」でした。
この、もいち堂版こそ
奉納演劇としてのこの芝居の決定版だったと言っていいかもしれません。

それは、もいち堂マジックと言っていいかもしれません。
とにかくあそこは普通の劇場じゃないということが
どんどん武器になる。

さあ、その「えびすしげなり」を
基盤において進化させていった2012年の本丸が11月

「ひーるべる」

です。
この内容については
最近稽古場ブログに締めとして長々と書きました。
タイミングが微妙だったのであまり気づかれてないかもしれません。
よろしかったらご覧下さい。
http://ameblo.jp/3297jp/

いろんな方にカムカムの最高作だと言われました。
自分でもそう思います。

何が違うのかと言えばうまく言えないけれども。

震災以来、考え続けてきたことのひとつの結節のようなところもあります。
「浜燃ゆ」「水際」「かざかみ」「えびす」と
もっと前から続いている海沿いの土地が破滅する物語の集大成的な部分もあります。
劇団員達の成長もあります。
素晴らしい客演に恵まれたということもある。

しかし何よりも昨年一年に、
いや、昨年そして一昨年、
とりわけ、この二年間に経てきた様々な、
様々にすぎる、極彩色の経験が、
一つの舞台に収斂していった気がしてます。


この二年で、自分は脱皮をしたと思います。


強引にへび年にからめてみました。

脱皮というのは、新しく生まれ変わるというよいイメージで捉えられますが、
へびは、別に脱皮して進化するわけではありません。
外界と摩擦し、接触する外皮が痛み、硬化するから、それを捨てて、新鮮で敏感な生身をさらすのです。
人も普通に生きていると、外皮といいますか、
外界を感知し、現実と摩擦するレセプターみたいなものが、
徐々に硬化していくものだと思います。
それはすべからく誰しもに、時間とともに起こることで、
いくらそのことに気をつけていても、
誰もが避けえない劣化だと思います。
だからこそそうやって硬くなってしまって、
外界に対する感知が鈍った外皮を、
へびのように定期的に脱ぎ捨てていかないと、
外界と隔絶した鈍い存在になっていくと思います。
しかし、我々はおそらく、
そうやって硬くなった皮を脱ぎ捨てることが相当に苦手なのです。
進化するという確実な約束事があってこそ、
ようやくおずおずと脱ぎ捨てるくらいで、
それが鈍化しないためにという、
消極的な理由ではなかなか、そこまで大胆な行動をとれない。
しかし、脱皮は必要なのです。
新鮮で敏感な自分でなくてはいけないのです。
しかしそれは保持できない。
であれば、いつもそういう自分との距離感を意識し、
脱皮を目論んでいくということです。
あえて硬い壁に背中をこすりつけたりして。

なんてことを考えました。

今ここを超えて進んでいかなければならないということでなく、
放っておいたら腐っていくという現実と戦うってこと。

なかなかこれは、自分にとって大きな転換点なのかもしれません。

今年もまた
へびのようにニョロニョロと、そしてスルスルと
時にはとぐろを巻いて睥睨し、舌なめずりして、
いろんな経験をすり抜けて行こうと思います。

すでに今年の仕事は始まっています。

「詭弁・走れメロス」

横浜でのプレビュー公演は年末、
好評のうちに終えました。
今までやってきたこととはまた趣の違った作品ですが、
これは相当に面白い舞台です。
演出なのに何度も見たい。
原作者森見登美彦さんの世界に初めて触れましたが、
面白いです。
カムカム好きは絶対に合う。
なぜなら森見さんは僕と八嶋の中高の後輩だったのです。
偶然。

「叔母との旅」の方法を交えて、
小説の劇化に臨みました。
若くてイキのいい主役の美男女も魅力的ですが、
そのやや前衛寄りな演劇的方法論を支えてくれる、
昔ながらの小劇場仲間が頼もしい舞台です。
それだけで見る価値あり。
小野寺さんともまた組んでます。
あの人とは本当に感覚が合う。

4日から銀座博品館で幕開きです。
お待ちしています。

そのあとは
EXILE「ダンスアース」脚本
鹿殺し「BONESONGS」出演

と続き

5月 ウエストエンドスタジオ
カムカムミニキーナ〜シリーズサラウンドミニキーナ〜
「熊の親切」
(これは出演者若干名募集中)

11月 座高円寺
「クママーク」
(久々の山崎樹復帰!)

と続きます。
今年のカムカムは「熊」で押す山芝居!

と、最後は宣伝になりましたが、

今年もカムカムミニキーナ、松村武をよろしくお願いいたします。


2013 1.1

at 02:05, 松村武, -

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