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カムストック第六十四談 「楽園?」

明日より「ラクエン!」という公演が銀河劇場にて幕開けです。

畏れ多くも柳家喬太郎師匠と組ませていただいて、

落語と演劇のタッグという触れ込みで挑戦する新企画です。

この話、

まず落語と演劇のコラボで何かできないか…という話がありまして、

いろいろとどういう形態がいいのか、師匠ともども悩みぬきました。


師匠をはじめとして、昨今の落語家の皆さんは、

越境をも辞さぬ、攻めの心が旺盛です。

演劇を好きな落語家さんも大勢いらっしゃって、

落語家さんのイベントの中で落語家の皆さんによる演劇が組み込まれてたり、

落語家さんが普通に役者として演劇に出演したりすることはすでに多々あります。

もともとが、喬太郎師匠との出会いは、

昨年の「斎藤幸子」という舞台で共演させていただいたことでした。


一方落語好きの演劇人というのも、

これが結構な数、存在しておりまして、

例えば風間杜夫さんなんかは、プロも顔負けの腕前で、落語会を開いてらっしゃる。

小宮孝泰さんは、ご自身が出演される舞台に絡めて落語会を開いたりなさっておられる。

池田成志先輩も、先ごろパルコで落語会をやられました。


と、いうような状況の下で、

それでもまだ誰もやってないような、

落語と演劇のコラボというものができないか?

というのが、この

「ラクエン!」

の挑戦です。


僕はもともと喬太郎さんと出会うまでは、

落語のことはほとんど知らなかったに等しい状態でした。

以後、落語というものに、深く魅かれることになるのですが、

よくよく考えてみれば、

僕が魅かれたのは、

落語そのものというよりも、

柳家喬太郎という特異な才能だったわけです。


古典から新作まで、

師匠のいろんな落語を聞かせていただきましたが、

そこで僕が感じた一番のポイントは、

この人は根っからの語り部であるということです。


きっとお話そのものが好きなんです。

お話を作り、

お話を話して聞かせる。

この人の興味は、

話の内容にあるんだ、と勝手に思い込みました。


で、比べるのもはばかられるのですが、

不肖、私も実は、

つまるところお話が好きなんです。

演劇というジャンルに身を置いて、

作家、演出家、役者の三つを掛け持ちしているのは、

自分の思うような、お話を語るためです。

肉体を使う語り部です。

しかし、その己が肉体で表現するものは自己ではないんです。

演劇の訓練では、

自己というものをいかに表現するのかってことが基本問題ですが、

こうして考えると、

僕の表現したいものは、

必ずしも内部ではなくて、あくまで、自分の外部にあるお話なんです。

そんなお話=虚構を作り出し、語って聞かせる。

僕もまた根っからの語り部です。


こういうタイプの人間、

つまり語り部というものには、

大袈裟にいえば、

世界征服の欲望があるのだと思います。

虚構の世界を構築し、それを単一の全能者として操り、啓蒙していくなんて、

畏れ多い、神のわざではないですか。

そういうシュミレーションに酔うタイプの人間が語り部になるんです。


嫌な感じでしょ。

なんか腹黒い感じ。

実は僕はそんな風に腹黒い人間です。


そして、

失礼を承知で、

最初に喬太郎師匠にも申し上げたのですが、

師匠にも、同じ腹黒き者のにおいを強く感ずるのです。


すなわち、

腹の奥で秘かに世界征服などを夢想している、

語り部というのっぴきならない存在である二人が、

互いの腹を探り合いながらも、

世界征服を成し遂げようじゃないかという、

「ラクエン!」ってのは、

その能天気なタイトルとは裏腹なことに、

こういう、全く持って、不穏な野望に包まれた企画なのです。

すなわち、

文化とか、芸術とか、

そんなんじゃないんですね。

ギラギラしてるんです。



一瞬話は逸れますが、

今、奈良で進行している、二年後の

「古事記編纂1300周年」へ向けての市民劇団ワークショップ。

そこでも「古事記」というお話と、

それを語った稗田阿礼という語り部との関係みたいなものをずっと考えてるんですが、

語り部の本性に潜む、

この全能的野望ということが、非常に重要なキーワードで、

「古事記」というものの誕生と、広く日本を支配する政権の誕生のリンク、

こういうことが「古事記」の中身のお話に、

どのように反映されているのか。

語り部というものは、

どのような存在であるのか。

まあこういうことも三年がかりで考えていくわけでして、

この「ラクエン!」での落語というものとの交錯の経験は、

とても示唆に富むものなのです。


さて、

話をもとに戻しまして、

そんな語り部たる二人がタッグを組むのだから、

お話を一番の見どころとしようという所に、落とし所は定まりまして、


結果的に、


まず誰もが知ってる古典落語から始まる。

その続きを、勝手に考えて演劇としてやる。

さらにその続きを新作落語で繋ぐ。

さらにその続きを演劇が引き受ける。

そして最後に新作落語で締める。


というような道順で、

古典落語のお話が、

一体どこまで転がっていくのか実験してみようじゃないかという、

何と言いますか、

お客さんに向けて、こういう作品を作ろうじゃないか、ではなくて、

どういう風にお話ってヤツが転がっていくか試してみようってところがまた、

腹黒き語り部たる視点なんでしょうが、

とにかく、

いろんな古典をまず吟味いたしまして、

いろんな続編も考えた末に、

「抜け雀」

を選びました。


落語好きな方なら大抵は御存じのポピュラーな古典です。

この「抜け雀」が一体どこまで転がっていくのか。


落語っていうのは演劇と違って、

稽古は一人の頭の中でなされるものですから、

演劇部門に関しては、一応きっちり台本もあって、

短い期間でしたが、稽古も重ねて、

お話も固まってますが、

喬太郎師匠の落語の全容は、

共演する我々も当日までほぼわからない。

特にラストの新作に関しては、

全くといっていいほど、どんなものか、わかりません。

ですから、

「抜け雀」というお話が最終的にどこまで転がっていくのか、

それは、当日来ていただいた方が、

最初の目撃者となるのです。


いやあ、しかし、

今日で稽古は終了しましたが、

今のところ未知なる最後の新作落語を除いた、

落語演劇落語演劇の四部構成分だけ見ても、

とにかくお話は、

気持ちのいいくらいにとんでもないところに転がっていきます。

一本の芝居、一本の落語で、

こういう転がり方は絶対にないというような繋がりが見れます。

これは少なくとも、僕や喬太郎さんのような、

お話好きの人にはお薦めです。


お話っていうのはやはり僕は新鮮なものがいいんですよね。

聞いたことのない、見た事のないお話に出会いたい。

出会えないのであれば、作りたい。

いろんなお話が語り尽くされた感のある現代において、

それはとても難しいことであることは百も承知ですが、

語り部という存在は、

その限界に挑戦し続ける者であってほしい。


そういう目線でいくと、

テレビなんて見てられないですよ。

同じお話の焼き直しばかり。

しかもリライトですらない、単純な焼き直しです。

舞台だって、今はそういうのが多い。


何て言うか、

野球に例えますとですね、

語り部を投手とすると、

あらゆるパターンのお話を聞き尽くした現代人っていうのは、

どんな球でも打ち返す強打者です。


それでも、

こちらがいくつもの変化球を会得し、

その配球や球速を多彩に操り、

何とかバットに空を切らせようとするわけですよ。

一球一球でそういう戦いをしている者にとっては、

直球ばかり力任せに投げて、案の定スコーンと打たれてるような試合は、

もう見る気がしない。


まるでロッテにいた小宮山投手のように

とても陰湿に正確に慎重に変化球を操り、

何とかギリギリ試合に勝とうという、

そんなことばっかり考えてる僕と、

そんなことばっかりではないだろうけど、

そんなことを考えることを、

少なくとも大事に思っていらっしゃるであろう、

喬太郎師匠の競作であり、合作でもある、

「ラクエン!」


それは決して

「楽園」

ではない。

そんな単純で楽観的な場所じゃない.


「ラクエン!」というのは掛け声です。

ワナですよ。

何かのおとりの掛け声です。


そのおとりにまんまとひっかっかって、

銀河劇場へお越しください。



































































at 00:21, 松村武, -

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