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カムストック第六十三談「捨て身の水際」

 「水際パン屋」本番真っ最中です。






連日満員のお客様に見ていただきまして、
本当にありがたいことだと感激しております。






本当は開幕前に上演作品について書くのが、
ここんところのパターンでしたが、
期間中のイベントなどもぎっしりで
あんまりにもあわただしい毎日でして、
結局ここまでずれこんでしまいました。






今日はマチネソアレの間に「ぶっつけ対談MATU」その十六があり、
あの渡辺えりさんが来てくださいました。
お客さんには見えなかったかもしれないけど、
時に目を潤ませながら語ってくださった、
劇団芝居という存在の重くて深くてかけがえのない存在意義。
そして小劇場演劇に対して、
まさに捨て身で、その魂のすべて、全身全霊をかけて演劇を作る者の覚悟と挫折。
などについてのお話を聞きながら、すっかり感動、高揚し、
また、本番やアフターイベントなどでの思いもかけぬ、看過できない出来事もあり、
また昨日来てくれた大学サークルの後輩の力強い感想メールなどもあり、
つまり気持ちが揺れ動く出来事がいろいろあり、
こういう日こそ酒で酔いながら、いろんなことを他人としゃべりたいというのに、
こんな日に限って、一緒に飲むようなお客が一人もなく、
劇団員も誰も相手にしてくれず、
結局今、一人で部屋でビール飲みながら、
この酩酊と高揚を文章にうちつけている次第です。






ちなみに大学のサークルの後輩というのは、
カムカムの母体、早稲田演劇倶楽部の後輩で、
ぷりたと同期。今は学校の先生をやってる熱血漢で、
そいつのメールにあった言葉…






「捨て身でいることの尊さを、僕は僕なりに地味に後世に伝えていきます」






という一節がすばらしくてね。
こういう先生にあたった生徒は幸せです。






テーマというものを表現していく芝居を作るのに、
劇団という形態は必要な条件なんだと、えりさんはおっしゃってました。
僕もまったくそう思います。






ただ、ここからは僕なりの解釈ですが、
ここでいうテーマというのは、
たとえば、青春の挫折とか、大人の恋愛とか、農業の危機とか、
そういう、個別具体的なものではなくて、
それらすべてをひっくるめて、
小さな個人で、世界まるごとに真正面から挑むような言葉、
野心ということではなくて、
それとは真逆の、
この巨大なシステムの中で埋没してゆく者の、
切迫した形での、
一人の人間として至極当然な欲望です。






小劇場というのは、
昔からそういう意味でのテーマを掲げる芝居を模索してきた歴史なんだと思います。
擦り切れるほどに、何度も何度も同じことを繰り返しながら、
生き抜くことの意味を見失うまいともがき続けてきた、その小さくて地道な闘争。






いろんな劇団はあっても、
それらは一群として一つのテーマを追求してきたんだと思います。
うちの劇団もその末端に名を連ねさせてもらってます。






そこにあるたった一つのテーマ、
それは虚実の相剋です。






現代日本にいる我々はもうその境がどこにあるのかさえ、
さだかには見えていません。






そのグレーゾーンの複雑怪奇な迷路にさまよいながら、
実というものを見極めることのできないまま、
肉体だけは、どうしようもなく生きていることだけを頼りに、
何とかもがいていけるんです。






このような虚実の混乱は、
ありとあらゆるつらさや悲しみの根源にありながら、
まるで漏れ出た液体のように我々の生活に浸透するものなので、
実感として距離をおいて把握することはとても難しい。






例えば、どこぞのファーストフードのイスは、
回転率をあげるために、
ある一定の時間が経つと、座ってたくなくなるように設計されている。
僕らはそんなことは知らないから、
自分の気持ちで席をたったつもりでいるけど、
実は、誰かの台本通りに動いただけ。
つまり作家の作り出す虚構の戯曲に支配されていただけのことなんです。
そこには自主的な実としての自分の気持ちなんて、
実は発生してないんです。
そして、そんなことに一生気づかないまま日々は過ぎていく。






そこで小劇場だったんだと。
そもそもが虚構でありながら、生身の肉体が現実に目の前で躍動する舞台でなら、
この現代を覆う虚実の混沌を映し出し、それと対峙することができると。






だから僕は、極論ですが、
小劇場演劇は、基本メタ芝居なんだと思ってます。






メタ芝居というのは、
演劇の中で、これは演劇だ、とか言ってしまう芝居のことです。






今回の「水際パン屋」はまさにそういうことを「水際」というキーワードでつなげていった作品です。






これ情報源が小説なんで、出所に確証ないんですけど、
とても興味深い考えなんで今回取り入れてるんですが、






神道の考え方で、
「水際」とは右の語源で、
陰陽の陰、そして生身の肉体をさす。
対して左の語源は「火足」
陰陽の陽、そして霊魂をさす。
この右と左、水際と火足を合わせるのが、
神社でする、柏手で、
火と水を、つまり、陰と陽、魂と肉体を合わせることが祈りの根源であり、
神様の神は本来、火水と書く。






この構図に、生と死、虚構と現実という対峙を交えて送りするのが、
「水際パン屋」に至る馬浜シリーズです。






ちなみにこのことを教えてくれたのは、
故郷大和郡山の市長上田さん。
ありがとうございます。
元ネタはベストセラー「天地明察」の中の一節にちらっと出てきます。






さあ東京はまもなく捨て身の三部作一挙上演。






地方はこれからです。






まだ見てない方お楽しみに。






三部作で倒れないように、
もうねます。






 






 






 






 






 






 






 







 

at 14:35, 松村武, -

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