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カムストック第五十五談 「刻む。」

  

まず、大変更新が滞ったということを深くお詫びいたします、

 

ことはさておき、

 

本日、200987日、
清水宏先輩の日比谷野音ライブに行ってきました。


二年ぶりのあの伝説の野音ライブです。

 

芝居の稽古中で行けないかと思ってあきらめていたのですが、

この芝居には多くの清水先輩ゆかりの人が参加していたため、

演出家がその全体的なソワソワぶりを察してくれたのか、

稽古がちょうどライブに間に合う時間に終わり、

晴れて野音に向かうことができました。

 

が、外は晴れていませんでした。

 

時刻は6:30 大豪雨。雷鳴。

 

雨天決行と宣言されてるとは言え、あまりの豪雨に、

一瞬中止か?という疑念もよぎりましたが、

清水先輩のことだから、
この嵐をも自らの力に換えるはずだと信じて、

ラッシュアワーの地下鉄に乗って日比谷へ向かいました。

 

7:00
到着した
日比谷野外音楽堂とその周辺の森は、雨の中、騒然とした空気に包まれていました。

 

そこではすでにこの嵐が事件でした。

その張り詰めた緊張感は、事件現場のそれでした。

 

受付では大勢の人がごったがえして、傘が交錯します。

レインコートを買い求める人の列が途切れず、

まもなく開演です!と叫ぶのはズブ濡れのスタッフ。

 

何とも言えない緊迫。

ずらりと席を埋める、透明レインコートの群れ。

非情にもやまぬ雨。

にもかかわらず、蒸し暑苦しい夏の夕べ。

 

そして僕などは特に、
レインコートの意味をほぼ消してしまうほどの

流れやまぬ汗、汗、汗。

 

しかし、これから清水先輩は、
僕など到底およびもつかぬ汗をかくことになるのだろう。

 

後方から見た匿名のレインコートの群衆も、

前に回り込んで覗きこめば、

あの人に、この人、その人に、かの人。

炎の演劇部を標榜する清水先輩を、
その先頭に押し戴くといってもいい我が小演劇界の面々が、

それはもう一堂に会して、主役の登場を待っている。

 

この雨で客少ないんじゃないか?

などと一瞬でも思った自分が馬鹿だった。

 

この野音に集結した人々は、

清水さんのファンでありながら、

同時に清水さんを支える。

 

こんな雨、

だからこそ、

見逃せない!


そんな状況の中に先輩は颯爽と登場し、

完璧に面白いライブをやり遂げたのでした。

 

ご覧になった方はご存知の通り、

清水さんのライブの目玉コーナー、
チャレンジドキュメントトークのネタが、

「登山」でした。

 

僕はその登山に同行しました。

行き先は南アルプス、日本第二位の標高を持つ北岳です。

最初に清水さんから、
登山に連れて行ってくれないか?と言われた時は、

まさかそれがライブ用のネタ撮りになるとは
思ってもみませんでした。

 

もう一月ほど前のことです。

メンバーは僕、清水さん、今奈良君、

ここまでは二年前のカムカムの芝居、その名も「大自然」のメンツ。

加えて毎年僕と一緒に登山に行く常連、双数姉妹の佐藤拓君です。

 

それでどんなことになったかは、
実名入りトークで清水さんがしゃべった通りです。

あれはほぼ完全に事実です。

 

もちろんトークですので
そこには虚実入り混じるグレーゾーンがあります。

しかしここはにわかには理解されないことかもしれませんが、

登山そのものにも
虚実入り混じってさだかならぬグレーなことがいっぱいありました。

記憶がグレーとかそういうことが言いたいことではありません。


今、ここで山を登っているという客観的現実、事実、
そういうものと、
なぜそういうことをしているのか?という心の現象、

主観的現実感とでも言いましょうか、

その帳尻みたいなものが、極限状態において、

どうしても釣り合わなくなってくることがあるんです。


そうした違和感を抱えながら一歩一歩を刻む末に、

とても大げさな言い方をしますと、


「生きているって何なんだろう?」


というところに思いが至るのです。

 

=「生きているということは、どういうことを示すのか?」

 

そこに至ってみると、例えば下界では現実として揺るがなかったこと、たとえば、


「自分が思ってるように、世界がある」とか、

「自分は自分が思うように思っている」とか、


そういうことが疑わしくなる。
自分というものが疑わしくなる。

自分をも含む強烈な客観性が生まれるからです。


だとすると逆に、

普段の自分というものの周りには、
「現実的に」虚というものが当然のように張りついている、

つまりは、嘘とか虚構がいっぱいあるということです。


自分は自分にいっぱい嘘をついているのです。

嘘って奴は、嘘って意識しないものの割合が恐らくとても多くて、

それでも大抵は嘘って意識するもののことしか嘘だと思っていない。

そういう考え方の果てに、リアルとかいう狭い考えが生まれるのだと思います。


理、アルでない理、ナイ世界。

登山に魅せられた人が遭遇するのは
そのリ、ナイ世界、つまり「自然」です。

 

そこが演劇と結ばれるラインなんだという清水さんのトークは、

単なるネタ笑いにとどまらない、とても深遠な内容で、

僕は笑いながら感動してました。

 

そういえばあの時は、

これは「大自然」という芝居の続きなんだ、
「大自然」はまだ終わっていないんだ、

などと冗談言いながら登っていました。

 

「大自然」という芝居は、
僕が何度か清水さんと組んで芝居を作った中でも、

ひときわ清水さんが凄みを発揮した舞台で、

まさに自然か不自然か、虚実が曖昧なラインを衝くことそのものがテーマ。台本制作の方法から偶然性、すなわち「自然」を意図的に重要視し、つまるところ我々が、
なぜ、ここまで演劇=虚構作りを追及するのか、
というようなことを、
突き詰めて作った舞台で、

あんまり客入らなかったけど、
僕としてはかなり傑作だと思ってる舞台です。

 

そこにさらに今奈良という男の、

このような僕と清水さんの早稲田演劇ラインの理屈的発想を、
大きな懐で飲みこむ、
まさに存在が「大自然」ともいうべき雄大さが加わる。

 

僕は、難しく考えずに楽しめばいいよ、
なんて発言する人を大概信用しませんが、

唯一、今奈良君の発するそのような発言には屈します。

何と言うか彼には
そのオプティミズムに肉体の裏付けがあるというか、

彼には自然と共に暮らしていたころの原始人の匂いがするというか。

 

その「大自然」という虚構を超えた虚構の制作の続きとして
この登山はありました。

 

一方、もう一人のメンツ佐藤君は、どこまでも向上を目指し、

自分自身に対して恐るべき貪欲さを持ち合わせた人物です。

人間がどこまで人間を超えていけるのか。

そこにもまた、自然対人間みたいな構図が垣間見えます。

 

自然対人間。

 

演劇とはそういうことかもしれません。

 

ライブでも言ってましたが、

疲労の極限の山頂で僕は突然清水さんに


「これ何が面白いの?」


って言われて咄嗟に


「面白くないですよ。つらいだけです」


って答えていまして、


「じゃあ何で来るんだよ?」


って聞かれて、


「帰ったら面白かったなって不思議と思えるんです」


って、これ何の用意もなく自然に言ってたんですけど、

 

「それは演劇と同じじゃないか!」

 

っていうあのトークのオチは、

まあ、みんな笑ってましたけど、

僕はグッときました。

 

自然はつらい。

でも自然に帰りたい。

なぜなら、僕らの日常は、

不自然なことばかりだから。

 

だから先輩も僕も日々演劇などにいそしみ、
時に山へ登ったりもするわけです。

 

清水さん、今奈良君、佐藤君、

嘘ではない自然な生き様を人に見せることを生業とする彼らは、
超一流の演劇人です。

 

ライブのラスト、

息が切れるまで全力で会場を走り回り、

しかも、その激情を内にではなく、すべて外の僕らに放出し、

その生き様で劇的に会場を笑かしまくった
オレンジジャージの清水先輩の姿は、


まるで太陽のように眩しい。

 

そして雨の中、透明なレインコートを着て
そんな清水さんを笑い続けた皆は、澄み切って美しい。

 

演劇人であることが、なんと素晴らしい職業だと、

あらためてテレることなく考えた、

 

そんな嵐の夜。

 

一人の男が全身全霊で刻んだ、
大自然のリズムとともに、

硬い何かが刻まれ、
大事な何かが刻まれた。

 

この刻みの一歩一歩こそが、やがて頂上へと続く登り道…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

at 02:07, 松村武, -

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