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第五十四談 「アザラシ」を見てね

山に登ると、そこには広大な天上の光景があって、
自分一人があまりにも脆く、小さく、何てことなく、
文字通り、吹けば飛ぶような、
客観的に見て、いてもいなくてもいい、
どうでもいい微生物でしかないということが、
痛いほどよく突き刺さり、
ここで自分が足を滑らせたって、世界は一ミリも変わるわけではないとか、
そういうことを頭でだけ考えていると、
ノイローゼになってしまうのではないかと思うのだけれど、
山に登って、その広大さにノイローゼになったなんて話は聞いたことがない。
むしろそのこと自体はとても否定的で絶望的なニュアンスを含んでいるにもかかわらず、
山に触れた人はそのことに感激できる。

意味とは別のところに生命があり、
そもそも、その生命とは実は、
個人のものであって、個人のものではない。

意味を操り、意味に操られるのが、人の特性のようでいて、
本当の人の特性は、
自分一個の生命の延長線上に、
意味とか必然とかとは別に確固としてある、
大きくうねり続けて生きる何かを感じとる、その能力ではないだろうか。
別にそれは雄大な景色やなんかに限られた話ではなく、
たとえば場末の酒場や、
四畳半のアパートでも十分に発動されうる話です。

これはかつて山で野猿を見て、
野猿は恐らく、この広大な光景に感激したりしないんだろうと思って考えたのです。

それは荒れる海を見て、過酷な大地に生き残る自らの、深き罪におののくエスキモーの神話であり、宇宙からの美しい写真を見て、この星を、一つの命のように考える感覚です。

「アザラシ」はエスキモーの神話に出てくる海底の女神セドナの物語。
そして昨今はエコというざっくりした合言葉で語られる、地球環境の物語。

かつて冥王星の向こうに十個めの惑星が発見された時、
水金地火木土と地上世界を形作る要素が順に名づけられた太陽系のその次に続く、
天王星、すなわち天界の王、
海王星、すなわち海界の王
冥王星、すなわち冥界(死後の世界)の王
の果ての十個目の惑星に「セドナ」の名が冠せられました。
結果的にその星は第十惑星とは認められなかったんですが、
この海底に鎮座するエスキモー神話の怒りの女神は、
このように、地上(現実)と天(夢)と海(誕生)と冥(死)を越えた概念なのです。

僕はそれを「自然」と考え(ネイチャーではないです)
この「アザラシ」で、
人だから感じることができる「自然」の演劇をつくってみたいと思ったのでした。

「アザラシ」はそんな感じです。

本日より。
ぜひ多くの方に見ていただければ幸いです。






at 01:22, 松村武, -

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