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カムストック第六十八談「龍脈」

2012年となりました。

昨年は「1989」「かざかみパンチ」
二作品とも多くのお客様に足を運んでいただきまして、
本当にありがとうございました。

個人的にも本当に客入りに恵まれた一年でしてカムカム以外に、
「BEN」「桃天紅」「さすらいアジア」「ゲゲゲのげ」
「レッドクリフ」「演劇移動図書館」
と満員御礼、評判もなかなかいい舞台に立て続けに参加させていただきました。

充実の一年であったと思います。

2011年という年は、もちろん一生忘れません。
そして万一忘れる人あれば、
忘れさせぬようにする役割の一端を負うていると思っています。

さて、久しぶりに長文を書くぞ…

今年は辰年。

年が明けて最初の作品はURASUJI「仇花」の作、演出。
その次は三月。雲南での「異伝・ヤマタノオロチ」出演です。

そう。今年は古事記編纂1300年紀。

三年がかりの大和郡山市民劇団「古事語り部座」もいよいよ九月が本番です。
その先駆けのごとく、出雲の地での古事記がらみの出演は、
やはりヤマタノオロチ=龍の話です。

出雲神話は島根の各地に様々に伝承されていますが、
ことヤマタノオロチに関しては、
雲南市が本場。

切り落とされたオロチの八本のクビを埋めた八本杉やら、
オロチが棲んでいたと言われる天ヶ淵やら、
とにかくヤマタノオロチ伝説ゆかりの場所が山のようにあります。
(出雲観光的には、かなり応用編な地域ですが、めちゃめちゃ濃厚な神話世界です。お薦め。)

海に面する出雲へ向かって、
雲南の地より流れる斐伊川(ひいかわ)という雄大な川は、
流浪のスサノオが箸を拾ったあの川です。
(かざかみパンチでもこの辺り、かすってました。ちなみに箸が流れ着いてスサノオが拾ったと言う場所がちゃんとあり、ヤマタノオロチ公園となっています。)
スサノオは箸を見て、人が住んでると思ってさらに上流へ向かい、
そこでクシナダヒメ一家に出会い、娘を狙うオロチと戦うことになる。

その上流地域には、古来より今に至るまで、
たたら製鉄の伝統技術が受け継がれ、
古くは日本最先端の鉄の産地であったと言われます。
(今でも日本刀のほとんどはこの地の鉄を使うとか)
たたら製鉄というのは、
あの、「もののけ姫」に出て来た、足踏みしながら機具を動かして作る製鉄です。
(もののけ姫は出雲をモデルに描かれていると思われます)

その製鉄の地域がどうしてそんな山奥に密集しているかと言うと。
製鉄には砂鉄というものが必要であって、
中国地方の山間部の土に砂鉄が多く含まれているからなんですね。

そこに半島からの鉄の技術が伝播した。
渡来人系の鉄の一族がいたと思われます。
古事記だと「コシ(越)」から来た一族と呼んでいるので、
元は北陸地方に到着した渡来人が、
良き砂鉄を求めて、日本海の海洋民族交易ラインを辿り、
斐伊川上流に居を定めたということかと。

砂鉄をとる作業というのは、
簡単に言うと、
山の土を持ってきて
川の水でその土をふるいにかけるわけです。
で、道具を使って、砂が流れ、砂鉄が手元に残るようにする。
その残った砂鉄を使って、鉄を鍛えていくわけです。

ところが、
みなさん、小学校でやった磁石使っての砂鉄集め思い出して下さい。
砂鉄なんてそうそう大量に土の中にありませんよね。
ですから、少量の砂鉄をとるために、
大量に砂が川に流れるわけです。

この地域の鉄づくりは大規模かつ長期間にわたって続いていましたから、
結果、土の採取のため、上流の山々はその山肌を大胆に削り取られ、
その削り取った土のほとんどが川下へ流れた。

斐伊川の下流にはどんどん砂が溜まり、
川が浅くなったのです。

実際に斐伊川を見ればわかりますが、
流れて来た砂によってできた砂洲がいっぱいあり、
それが、他の川とは違う独特の景観を作り出しています。

そのことによって何が起こったか。

川が簡単に氾濫するようになったのです。

これまた一度見れば一目瞭然なのですが、
延々と続く斐伊川の土手の外側は低い平地になっており。
一度土手が決壊すると、
集落全体が簡単に洪水に飲みこまれてしまう。

これまでの歴史の中で、この川は何度も何度も氾濫しました。
オロチの八本の首の上に植えたと言われる八本杉は、
その割には細い杉で、
インチキくさいなと思ったら、
実はその場所は何度も何度も近代にいたるまで
洪水に見舞われ続けてきた場所で、
その都度、杉を新たに植え替えたと言う話でした。
オロチの八本杉が細いのは、
そういう意味で歴史の証なのです。

ヤマタノオロチなんていう龍が実際にいたはずもありません。
なんていうと身も蓋もありません。
実際、オロチが棲んでいた天ヶ淵の不気味さや、
首が転がった窪とか目にすると、
あたかもそんな化け物が本当にいたような気もしないでもない。

しかし、ここはもう少し現実的に考えて、
一体何がヤマタノオロチという龍のイメージに転じたのだろうと言いますと、
古事記に曰く、

「頭が八つ尾が八つ。目は赤ほずきのように真っ赤で、背や腹に苔や杉が生えた大蛇」

というものが、
氾濫を繰り返す斐伊川そのものを表しているのではないかという説があります。
八つというのは意味としては「いっぱい」ということです。
斐伊川というのは、いくつも細かい支流に別れていて、
上から見るとまるで首が何本にも分かれた龍に見えます。
その合間合間に小高い山々が連なり、それらはまさに苔や杉に覆われている。

では、真っ赤な目というのは何でしょうか?

それは斐伊川の上流の谷間に点々と住み着いた鉄の渡来人一族が、
鉄を鍛える際の炎なのではないか。
薄暗い夕方に、小高い場所より川の上流を遠く望めば、
山間のあちこちに赤い鉄の火が不気味に燃え上がる光景を
下流の人々は見たのかもしれません。

恐ろしい龍、ヤマタノオロチとは、
斐伊川下流に住む人々を脅かす、
氾濫する川そのもの、
そしてその氾濫の原因である砂を下流に流す、
上流の鉄の部族、
これらが一体となって現れ出たイメージなのではないかという説です。
(これは有力ですが一説です。他にもいろんな説があります)

もしかしたら
その鉄の部族は鉄器を使ってるから当然強い。
その武力に任せて、
下流の人々を襲い、臣従させ、
生贄として若い娘をかっさらっていったのかもしれない。

そんなみじめな境遇に置かれていた下流の村(恐らく農業をしていたと思われます)
の下に現れたのがスサノオです。

(スサノオの出自は半島から九州、山陰、北陸と日本海を行き交う海洋交易の民族だと思われます。彼らの一団が川を伝って内陸部まで来たと言うことでしょう。これも一説)

スサノオはアシナヅチ、テナヅチ(クシナダヒメの親)
というその村の有力者に出会い、一緒になって戦を戦い、
ヤマタノオロチ=鉄の部族を支配下におさめた。

その戦利品が、ヤマタノオロチの腹から出て来たと言われる
三種の神器の一つ、草薙の剣です。
これは鉄剣なのです。
それまでの剣は鉄剣ではなくて、青銅剣です。
このことを見ても、鉄の部族を制圧した話であることは、
結構間違いない線なのではないかと思います。

このように、
ヤマタノオロチの場合、
龍とは、
恐るべき自然の脅威と、
現実的な社会的脅威が、
渾然一体化したイメージのモンスターとして登場しています。

龍は人間が考え出した架空のものですから、
どこか現実的な人間と関わるところで登場する。
ただ、自然の脅威というだけでは龍は登場しない。

先日来日したブータン国王は東北の子供達に
龍が一人一人の心に住んでいると言いました。
中国では龍は世を統べる皇帝の象徴であったりします。
龍は己でも操りきれぬ、荒ぶる人間の魂。
では己が操りきれぬ分、何が操るのかと言うと、
そこは自然なのです。
自然が操る人間の魂。
この自然と言う言葉の中に、真理や歴史、運命、偶然すべてが含まれます。

昨年の地震の震源分布図みたいなものをネットで見つけた時に、
列島を覆う、その震源を示す点の集積が、
まるで激しくうねる一匹の龍に見えました。

地震、そして津波という恐ろしい自然の脅威があり、
原発の破綻、放射能の蔓延、故郷の喪失、
そして政治、国家の崩壊という、
現実的な社会脅威が今この国を覆っている。

そして今すべての日本の人々が
どう生きるのか?
生きるとはどういうことなのか?
という、
今までなら倫理的、哲学的であった問題が
生々しき現実的な問題となって
己が身に突きつけられる事態となり、
抜き差しならない状況に置かれ続けている。
そしてこれからもずっと置かれ続けるであろうことも薄々わかっている。

まさに
龍が出現する様相なのです。

荒ぶる自然と荒ぶる己の魂、
その二つの嵐に乗って、
頭上を舞う龍の影で、
我々は、一体どうすればいいのでしょうか?

今日(元旦)も大きな地震がありました。
幸い被害はない規模でしたが、
もはやいつ大きな地震が来てもおかしくない。
ということは、
もはやいつ死んでもおかしくないってことです。
自分のことなら何かやけくそな気持ちにもなれますが、
イコール、
もはや、いつ大事な人が一瞬にして消えてもおかしくないってことです。
想像してください。
あなたの周囲の人が、
一瞬にして消えるんです。
別れの挨拶をする間もなく。

元来そういうもんなんです自然世界は。人の死は。
だからこそ人間の生というものが激しく尊い。
人の命など簡単にあっけなく消えてもおかしくない。
それなのに健気に生きているのが我々人間です。

僕は山登りをしますが、
どうしてそんなに山に惹かれるのか、
あらためてわかったような気がする。
それは、
この生というものを、
尊いって思えるからです。
足滑らしたらなくなるのに、
今ものすごく、できうる限りの集中して注意していることで、
何とか長らえてる、
その生を、はっきりと愛おしく思えるからです。
思えば、
そんなことで、
生と死の狭間をわざわざ体験しにいくなんて
そんな姿勢の、
なんと都会的な、贅沢かつ飽食っぷりでしょう。
そして不幸なことに、
そんなことわざわざ体験しにいかなくても、
普通にこの国はそういう状況になった。

我々の意識の下と、
この日本列島の地下で、
今、この瞬間に一匹の龍がうねっているのです。

それは
生の世界と死の世界を橋渡しする、
蠢く橋のようにも思えます。

多くの人が死んだ一年でした。
個人的にも周りで近しい人が何人か亡くなりました。
死に限りなく近づいて、
それでも生きながらえた人もいました。

死の訪れが瞬間的であり、理不尽であればある程、
その境界の壁は薄くなっていく。
今ほど、死者の世界が近い時は最近ではなかなかないのかもしれません。
それは扉のすぐ向こう側にあるから。
戦争の時はもっとだったんでしょうが。

そこには運命というどうしようもないことと、
人為的な宿命という、何とかなったかもしれないけど手遅れなこと、
そしてこれから何とかできるかもしれないことが同居します。

龍は我々の敵ではない。
味方でもない。
ただ、敵ではないのです。
人間的には一つの覚醒みたいなものの象徴でもあるような気がします。
認識、とでもいいましょうか。
ある構造や因果の理解みたいなものが覚醒につながる。
龍の存在を知るとはそういうことなのかもしれません。

急激にプロレスに話が飛びますが
龍と言えば飛龍、藤波辰巳。
風雲昇り竜、天龍源一郎。

二人とも大好きなレスラーですが、
今から思えば、
猪木、馬場と言う、
圧倒的原理を備えた太陽神のような存在が支配する場において、
その理不尽や苦難を飲み込みつつ、
すべてを承知、理解の上で、
それでも逞しく、不敵に、
その世界で昇り続けるという意が個性にはまったように思います。
だから、
いくら威勢良くても、
この二人のレスラーは、どこかずっと哀しげなのです。
切ない。泣ける。
苦労人なんて言葉でよく語られますが、
そういうことじゃ言い表せてない。

影をも、そして敗北をも引き受けて、
なおかつ生きることの大変さを、
肉体で体現したとでもいいましょうか。
僕はそこが大好きです。

本当に話があっちゃこっちゃしますが、
こうやって書き散らしながら、
龍ってものについて考え続けています。
これがこのコラムのスタイルです。
思考経路を追う体験をしてください。
そういうの嫌な人は
ここまで読む前に脱落してるでしょうし。

震災の後、
どういう芝居をするか、
まあこれはご同業みんな悩んだことでしょうが、
僕としては、
とにかく
このよくわからなくなった自分を描くしかないと、
ここまでの話の流れで言うならば、
己の中の龍を描くところから始めるしかないと思いました。

5月「1989」では、
この2011年に到着してしまう自分の半生を、
つまりそれは2011年において、
大変なことになって、
何かしなければってなった時に、
頑張りどころが演劇と言う場のみになっている、
そんな状態に自分が到達する過程みたいなものを
描きました。

11月「かざかみパンチ」に至っては
それが一層徹底されてまして、
要は
自分が今どうして生きてるか?
こんな事態において、
今どうして演劇というものに全精力を傾けているのか?
それをそのままやりました。

思いっきり私小説ならぬ私演劇です。
だから「かざかみパンチ」には
見てる他人から見て、
「こうしよう」「ああすべきだ」などと
教訓になるようなところは一切ありません。
すべて僕による僕個人の検証です。
僕の問題を大々的に拡大したのです。
本当にそれはこのコラムみたいなもので、
サービス精神なんてものはほぼない。
強いてテーマをあげるなら、
「なぜ今松村は演劇をやるのか」
ってことでした。

でもそれだけ純化したものをお見せできたのかもしれません。

こういうことでもいいんだと思いました。
それに、しばらくはこういうことでしか劇団の作品は作れないでしょう。

演劇で何ができるのか?

例えば、
「古事語り部座」の命名は大和郡山市長ですが、
その名には、
記憶を語り継いでいくことの重要性と、
その担い手たる語り部の存在の重要性が
込められています。

すでに昨年起こったことの半分は忘れ去られようとしている気がします。
つとめて忘れようとしている人が多くいることも事実です。
人間の忘れる能力は
死の悲しみをずっと引きずっては、
その人も死んだようなものになってしまうことを避ける意味があるのでしょう。
テレビでは津波の映像はそれほど流さなくなりました。
「かざかみパンチ」でも
津波を彷彿とさせるシーンで、
不愉快な気持ちになられた方々がおりました。

しかしだからと言って、
国全体が昨年のことを忘れていいわけがないのです。
それでも多くの人々は忘れていく。
なかったことにしようとしていく。
これは楽をしてるのです。
引き受けることがしんどいことを放棄しているのです。
これが集団の真実です。

だから誰かが語り部となって、
記憶を引き継いでいかないといけない。
文書やデータが、あのような災害に対して無力になるというなら、
それは人が生身の肉体で繋げていく、
演劇というジャンルの使命なのかもしれません。

起こった事実はさりながら、
それに付随した混乱、
様々な人々の乱反射する思い、
そして当事者たる自分の思い。
それらを印象的な物語として残していくのが我々の重要な仕事だと思います。

しかし、
何かの役に立つからやるものが演劇ではないはず。
乱暴に言えば、
何の役にも立たないことをやるのが演劇であったりもする。
じゃあ、なぜ何の役にも立たないことをしなければいけないのか。

以下は極論だけれども、
一人一人が全然違って、
一人一人が残らずオリジナルな生を生きて、死ぬ。
その一人一人の歴史のかけがえのなさを際立たせるために、
たった一人の、
例えば僕の、特殊な僕と言う存在を
内面から外面から思いっきり掘り下げてみる。
この特殊な一人の生の掘り下げが、
残り何億のそれぞれに特殊な一人一人の生とシンクロする。

それぞれには全く違うけれども、
一人の生が尊いということでは、
全く違う他人である皆もわかってくれる。
そしてその一人づつに物語があることもわかってくれる。

だから表現っていう奴は、
社会のためになるとかならないとかじゃなくて、
自分個人がどれだけ、自分個人を掘り下げているのかってことだ。

どれだけ特殊なものと向かい合っていくのか。
そして、
どれだけ特殊でないという事実に向かい合っていくのか。

うーん、
何だか何を書いてるのかついにわからなくなってきた。
正月なもので、
途中何度も中断しながら、
酒を飲み、
酩酊し、
眠り、
酒を飲み、
酩酊し、
そしてもう究極的に眠い。

文章がもう酔っ払いになってきてて、
推敲する気にならない。
もうこのまま出します。

ただ、最後にこれだけは言いたい。

「かざかみパンチ」をご覧いただいてないと
よくわからない事ですが、
最後のシーンで
僕が八嶋の演じる演劇の神様、黒ヤギ様に授かる
血まみれの台本。

あれは本当に血まみれなんですよ。
人の腹から出てますからね。

さてあれを僕の役は、
終演の暗転までずっと読み続けているのですが、
あれは小道具的に予算のない劇団ならではの理由で
使わなくなった台本の古いページを綴じ合わせたもんなんです。

いつもそういうことが多いんですが、
「かざかみパンチ」は特に、
稽古中に何度も何度もシーンを書き換えました。
その都度役者に配って稽古するので、
書き換える前に配った古いページは大量にボツになっていく。
省エネとして、そのいらなくなったページで
あのシーンの小道具としての台本は出来ているのです。

僕ことさんずいの松河は、
あのシーンで台本を開きます。
設定上はそこに、
松川が書いた新しい物語が書かれているはずです
(それは松川のセリフとして紹介されます)
そういう心地で僕も演技してるのですが、
実際にはそれは、
ボツになったいろんなシーンの会話が書かれています。

僕はそれをじっと終演まで読み続けるわけです。

すると何でしょうね。
それがリアルに失われた戯曲であることが浮かび上がってくるんですね。
そこに描かれている人も、
それを演じた人も、
もうここにはいない。と。
その場面は二度と演じられないと、
そういう錯覚に陥る。

生きていたのに、
今はもういない人々の会話が記録されてるように思うんです。

しかもかなりの確率で(あれは一回一回ボロボロになるので毎日代えてました)
そこに描かれているのが
あの失われた町の役所のシーンでした。

あのシーンのセリフのやりとりを読みながら、
かつて交わされたけども、
今はもう失われた何気ない会話に思いを馳せました。
戯曲が死者の言葉に埋め尽くされるさだめのようなものを知りました。

演劇ってものが
基本的には
死んだ人との対話なんだってことが
ようやく切実に思えた気がします。

そして戯曲というジャンルを愛おしく思えた。

この戯曲というジャンルの存在があることこそが、
かつてここに書かれているような者が存在したという、
唯一の証拠のような気がした。

戯曲っていうのは、
架空であっても、
どこか予定であって、
どこか記録なんです。

演劇が生なものだからです。

そして龍と戯曲はセットにするのに相性がいい。
演劇における龍というのは、
似合うばかりか、
ひょっとすると不可欠な何かを担っているのかもしれない。

生と死を渡す存在である龍は、
それらの言葉が混合する戯曲の中を自在に飛び回る。

嘘の言葉を交えなければ死の世界などイメージとして我々は持つことができない。
戯曲は、龍の如くにその真偽の壁を越えていく。

うーん、もう無理だ、何言ってるかわからない。
眠い。

そして最後の最後に思うことに
伝えたいことはやはり「演劇でしか言い表せない」

だから今回のカムストックは、
そういうものを文章にしようとすると
いかに破綻するか、
その実験でした。

今年も演劇でしか表せないこと、
やっていきます。

どうかよろしく
カムカムをよろしくお願いします。

松村 2012.1.1

at 01:27, 松村武, -

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カムストック第六十七談「1989〜風家の三姉妹〜イントロダクション」

「1989〜風家の三姉妹〜」が近づいてまいりました。

作品のイントロダクションを、
淡々と書いていきたいと思います。

今回、カムカム作品としては非常に極端と言いますか、
いつものカムカム作品の一面を肥大化させ、
いわゆる演劇的な部分を、
演出にも劇作にも過剰に盛り込んでおります。
超演劇的です。

サラウンドミニキーナなんて銘打っておりますが、
まず普通の舞台客席が向かい合う構造はやめて、
立体的な舞台構造にという縛りをあえて前提につけました。

これは「叔母との旅」での演出がきっかけです。
ご覧になった方はおわかりかと思いますが、
あれこそ超演劇的な舞台。台本。
演出に苦悩しながら、
最近は、少し脇に置きつつあった、
本来自分の中にある、
演劇的表現なるものへの渇望、偏愛。
そういうものにあらためて目覚めてしまった。
元来カムカムは奇妙な演劇的表現を自分達なりに模索、開拓してきた劇団でした。
しかし、劇場が大きくなるにつれ、
保守的と言わないまでも、
やはり、いつものカムカムというものを見たいと言うお客さんの思いを無視することもできない。
実験的な要素は、即、観客減、劇団継続困難状況みたいなことに直結しかねないので、
いろんな踏みだしは交えつつも慎重に。
少し大胆さがなくなってきていたかもしれません。

そこで、毎年やっていた、
明石スタジオでの小さな公演を
特化させて思いっきり演劇的、実験的にやろうというのが、
サラウンドミニキーナです。

思いっきりやってます。
気持ちいいくらいに。
そう見えてほしいと願っています。


さて、この作品は、
1989年という僕が奈良から東京へ出て来た年の話です。

どうしてその年のことを芝居にしようかと思ったか。
いろんな理由がありますが、
「1989」という、冷戦崩壊を扱ったドキュメント本を読んだことがきっかけです。

冷戦崩壊の一連の出来事の中で、
「汎ヨーロッパピクニック」
という事件があります。

ベルリンの壁崩壊の三か月前の夏休みの出来事です。

知りませんでした。っていうか忘れてました。
まああの頃は新聞もちゃんと読んでなかったかもしれない。
いろんなニュースがありすぎて埋もれていたのかもしれない。

このピクニックが大変演劇的で、
ものすごく想像力をかきたてられたんです。

ちなみに今回の芝居には結局出てきませんが、
チェコの革命を先導したハベルは劇作家です。
彼が中心となって起こすビロード革命の経過も、
とても演劇的です。

まあそれを読んで、
その年、上京したてで早稲田に入り、
今一生の仕事となった演劇を始めるにいたった自分史が勝手にリンクして。

東欧の人々がピクニックから大脱走を企てた夏、
僕や八嶋、吉田は、
演出担当の先輩が姿を消した新人公演を
新人の自分達の自力でやることを決意して
日々、演劇小屋と呼ばれるたまり場を
三十人は入れる劇場にすべく
セメントを練ったりしていたのです。

上京した頃の強烈な思い出は、大喪の礼です。
その時僕は歌舞伎町の新宿プリンスホテルに受験のために滞在していました。

考えても見てください。
十八歳の少年が東京に出ていくだけでも大変な経験なのに、
そこは大喪の礼という、
滅多にない非常事態に覆われていた。

あの日の冷雨は一生忘れられません。

というわけで、

「1989〜風家の三姉妹〜」は、
限りなく松村武に近い、
佐藤恭子演じる松川武太郎が、
自分の過去を振り返りながら
「1989」という芝居を書くというところから始まります。


さて、風家とは何か。

これはもちろんフィクションですが、
これには最近僕がはまりにはまっている古事記が関連します。

この話を詳しくしだすと長くなるのでまた別の機会に譲りますが、
僕は奈良出身なのに
古事記に関しては、
より出雲に関心があります。

諸説あり、確定してない歴史ですが、
結論から言うと
僕は大和の国の前に
日本全土に広がる出雲の国があったと考えています。
出雲の国があったというか、
出雲を都とする日本国があったと思っています。
そしてそれは何らかの原因で滅んだんだと。

そしてさらに、
その出雲の国は、
いろんな面で、
相当な進んだ文明であったと。
科学のことではないです。
考え方のことです。

出雲日本は、
戦争ということをせずに国を支配する考え方を実現していたと思うんです。
その根幹には死者の霊を信仰する
今の神道とは異なる日本最古の宗教があります。

その国を作ったのが渡来人であろうスサノオ。
その国の最盛期がその何代目かにあたるオオクニヌシ。

ここら辺は
「スサノオ・大国主の日国」梓書院
と言う本を読んで影響されております。



さて、
さてばっかりですが、

実はこの「1989」の予告編を
3月20日のプレイパークと言う
鹿殺しのチョビがやろうとした
短編フェスティバルで上演予定でした。

3月11日
その稽古中に震災にあいました。

フェスティバルは中止になりました。


今回の芝居の冒頭シーンに
その時の予告編をそのままやります。
構造的には妙ですが、
それもあり。
ぜひそのままやろうと思いました。


「1989」という時代の変わり目を描こうとした思考が、
震災という、これまた時代の変わり目を通して
また様々に変化していき、
物語も様々に変化していきました。

前回のカムストックにもありますが、
一瞬にして無に帰する文明というものの脆さを目の当たりにし、
そこになぜか消えてしまった出雲日本が重なりました。

週刊誌の見出しに、
あろうことか被災地の風景を
「黄泉の国」
と評した言葉があり、
あまりに酷いと思いつつも、
いろいろと考えてしまった。

そして自ずと
「再生」という言葉が重くのしかかってきた。

風家というのは巫女の家系で、
もとは大和以前の国に仕えたシャーマン。
予言者であり、語り部であり、俳優でもある、
古代の演劇人です。
くれぐれもここはフィクションです。

その風家の人脈が今も残っていて、
自ずから演劇的な人生を送ってしまう。
中には演劇そのものに携わるものもいる。

そして風家の直系の娘、風みどりには、
風を読み、未来に何が起こるのかを感ずることができる。

そういう設定で始まったこの話、

そうなると風みどりは
3月11日のことも、
その後の今の日本のことも
すでに何年か前に見えてしまっているのではないか。

そうはっきりとではないけれど、
何かの崩壊が起こるということを察して、
それを何とかしようと旅に出る。

そんなイメージで風みどり=風見鶏が一方の主役として出てきます。

僕は彼女を安住の国に辿りつかせようと、
それだけで言葉を紡いでいました。

風力発電の風車が回るひまわりの平原。
(ひまわりは放射能物質を花に取り込んで、大地を浄化する作用があるそうです)


そこに物語を辿りつかせようと言葉をこねくりまわしました。

だから本当に、いつも以上に、こねくりこねくりしている芝居です。
決して難解ではないと思いますが、
時間軸も激しくいったりきたりして
とにかくめまぐるしい。

でも
え〜むずかしそうと思わずに見てほしい。

こういう舞台を作ることで、

僕らも僕らなりに

何とかしようとしているのです。

その気迫と決意を見てほしい。



最後に前回と続きますが、

奈良新聞連載「赤い扉の向こう側」の原稿を



「赤い扉の向こう側」

第五十一回「大地のめぐみ」

信じられない事に、この連載も五十回を越えてしまいました。書き手としてありがたいことです。これぞ駄文を懲りずに読んで下さる皆様からの大いなる「めぐみ」。ということで、ここからのシリーズは「〜のめぐみ」でお送りしたいと思います。

先月の地震で、震源地付近の海底の大地は24mずれて3m隆起したらしいです。長淵剛さんは自然への激しい怒りと、それでも立ちあがる人間の魂を力強い詩にしていましたが、今ほど「大地のめぐみ」なんて甘い言葉がそぐわない時もありません。私達は大地の恐るべき力と、その振る舞いの非情、徹底的な理不尽をまざまざと見せつけられました。

それでも今日(この原稿を書いてる日)、東京ではソメイヨシノが満開の時を迎え、うららかな春の陽射しの中、多くの人々がこの無力感に覆われた暗欝の日々から、少しでも明日へと繋がる希望を求めて、ごく控えめに、それぞれの思いを胸に、近所の桜を見上げたことでしょう。毎年春には必ず桜が散って、また次の春には必ず再び桜が咲く。そのことが「大地のめぐみ」でなくて何でしょう。

  その正体は再生の力です。この大地より生じたものはすべて、この再生の力を「めぐみ」として授かっている。生まれ出るや、そこからは大いなる自然の営みの前に、傷つき、衰え、やがて滅びゆく理不尽が、か弱い生命の必然です。しかし、それでも再生する根強い力もまた、我々の体に備わったもう一つの必然なのではないでしょうか。「めぐみ」として。

  この「めぐまれた」力を使いこなし、しぶとく再生を果たすことで、我々は母なる大地に応え、この世に「めぐみ」というものの実在を証明することでようやく、その非情、冷酷に向かい合う精神を持てるのではないでしょうか。
 この文章が皆様に届く頃には東北地方にも桜が咲いていることでしょう。


奈良新聞 4月15日号

at 11:43, 松村武, -

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カムストック第六十六談 「赤い扉の向こう側」

奈良新聞でもう二年くらいにわたり、

「赤い扉の向こう側」というコラムを連載させていただいてます。

今も続いております。

このコラムのはじめの趣旨は、

ついぞ変わらぬ日常の時間の中に、

情念のわずかな火種に燻られ、

ぼんやりと、今とは違う明日を夢想し、

日々、悶々と過ごすような

奈良の人らしくない奈良の人々に、

真っ赤なビロードで覆われた、

劇場の扉の向こう側、

のぞき見た虚構の舞台に、

繰り広げられる非日常の風景への、

ささやかな入り口を提案する。




というようなものでした。




ところが今や関東では、

逆に

いつ帰るかわからない日常を求めて、

ついぞ戻らぬ、いつもの風景を求めて、

絶望と希望が静かに交錯する…。





時代は大きく変わりました。


これから赤い扉の向こう側にて、

何を皆さんに見せていかなくてはいけないのでしょうか…。

みんな何を見たいのだろう?



震災があってから初めて書いた原稿を転載します。

このコラムは副題を十回周期で変更していて、

たまたまこの一巡は「悦楽」でした。




「赤い扉の向こう側」

第五十回「生命の悦楽」

 昔、地球の生態系の頂点だった恐竜が、隕石の激突で一気に絶滅したって話や、ムー大陸が現代以上の文明を持っていたのに一瞬にして海に沈んだみたいな空想話が、今や現実味を帯びた悲劇の歴史に思えてきました。何の理由もなく、一瞬にして、広大な文明、膨大な数の生命が失われるってことは、ありうるんですね。 
 大震災以来、言葉というものを失う日々が続きます。世界は一変しました。絶望も希望も、今までの言葉ではうまく表せない。何が起こり、何が失われたのか。何を守り、何を目指すのか。新しい言葉、新しい物語が必要だと思います。すぐには見つかりませんが。 
 生命。この世に生を受けたからには、まず目指すことは最大限生き続け、生き残ること。でもこれはあらゆる生物の宿命です。ただ人間だけが、これを個々の単位で考えて、一人で宿命を生きようとして悩む。でも魚や虫を見ればわかります。生命はだいたい「群」で生きる。一人ではなく、みんなで最大限に生き続ける。そのためにみんなで支え合う。復興地域の映像には、人々がこの大変な状況の中で、支え合って「群」として生き残っていこうとする生命本来の健気な美しさがある。過酷過ぎる現実が要求するシンプルな生です。
 そしてこの「群」の中には、失われた命、これから生まれる命も含まれているように思います。死者の命の記憶を、これから誕生する命に継ぐことで、滅びることなく何かが続いていく、それが「群」としての人間のサバイバルの姿です。個々の命は失われても、しぶとく潰えないモノ、これこそが生命の悦楽、人間だけがなし得る文化という奇跡ではないでしょうか。これだけは何としても残しましょう。
 今日もまた新しい生命がこの国に生まれ、その子達にこの震災の記憶が、生命の尊さと脆さを忘れぬひとつの文化となって、いつまでもいつまでも語り継がれていくように。

奈良新聞4月1日号






*震災後しばらくしてからツイッター本格参入してます。あの時はツイッターに、本当に助けられたから。


http://twitter.com/#!/maturasu

at 14:22, 松村武, -

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